きもの選びは友達探し、あなたの笑顔に癒される by かずまさ

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第655号 2012年8月28日「夏の終わりに」

セミの鳴き声が少しずつ弱々しく聞こえるようになった。今年の夏もまったく暑い日が続き疲れた。ますます異常気象が進んでいるようで、天気予報が気になって仕方がない。風速70メートルの台風が来ている?聞いたこともない話がテレビから聞こえてきた。本当だろうか?そういえば原発の時もそうだったが、考えもつかない出来事が普通に起きる時代なのか?恐ろしい。
今年の夏は名古屋から離れなかったから、のんびりした農村風景や野生の小動物や昆虫も見なかった。子どもの頃、トンボやチョウを追いかけて育ってきたから、見られなくなるのは寂しい。星を見るのも好きだった。兵庫にある女房の実家の夜空はとてもきれいで、流れ星が毎晩見られた。
夏休みも終わり。8月末から9月初めは宿題の追い込みで忙しかった。夏中ボーっとしているのは今でも同じ。誰かさんが生きていたら、『シャンとせい!』と怒鳴られそう・・・。

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第654号 2012年8月24日「成人式 ふたたび」

先日、名古屋のテレビ局から問い合わせがあった。
『おばあちゃんが振袖を着用する地域や儀式みたいなものがあるそうだが』と・・・。その日はお店が休みだったので、私は外出先でその問い合わせの電話を受けた。自分の記憶の中では聞いたこともなく、『ありません!』と即答した。
盆休み中だったので、調べたり人に尋ねたりすることができなかったのだが、盆明けに、ある専門雑誌社の編集長に伺ってみた。すると、小倉・岡山・八王子のきもの屋さんでは、還暦祝いとして、3月3日のひな祭りの日にそんな行事を行っているというのだ。カラオケの舞台衣装等として中高年の女性が振袖を購入するという話は聞くが、厄払いやお祝いのために着用するなどどはまったく知らなかった。振袖は、未婚女性が魂振りをすることで異性を呼び、幸せを与えるものだと教えられていたので、それ以外に利用するなどとは考えもつかなかった。
これをきっかけに色々と考えてみた。現在80歳前後の方々は、戦時中から戦後の激動の時代の中で、現在のように成人を祝ってもらったという経験を持つ方は少ないだろう。そんな方々にとって、振袖姿は一生の記念になるのではないだろうか。3月3日なら成人式と卒業式の間で、季節としてもとても良い。その時期なら振袖もたくさんある。良いアイデアではあるが、なかなか実現は難しいかな?機会があればやってみたいが・・・。

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第653号 2012年8月20日「盆休みを終えて」

4日間の盆休みもあっという間に過ぎた。
今年は、どこへも行かず家にいたので、ゆっくり両親や祖父の墓参りに行けた。8月13・14日ともお参りの間は雨も降らず、ただ暑いだけの日中の墓参りだった。祖父母(奥田家)の墓参りをしているのは私たちぐらいになってしまったようで寂しい気がする。いつも通り、草むしりから始まり夫婦で手を合わせた。祖母には、子ども達も生前ずいぶんお世話になった。盆と正月には草むしりに来るようにしているが、そんな程度しか来ることができないことに申し訳なく思う。まだ仕事が出来ていることに感謝しなくてはいけない。
盆休み中は、ほとんど店や部屋でゴロゴロしていた。早すぎる起床に慣れてしまい、オリンピックが終わっても毎朝4時頃には目が覚めてしまう。だから、自然と夜は早く眠くなる。朝の散歩、ラジオ体操も8月に入ってからも皆勤賞だ。休み中、酒が毎日になってしまったが元に戻そうと思う。
盆が終わると本格的に着物のシーズンに突入する。良い商いに繋がるといいな。

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第652号 2012年8月12日「ぼやき」

652先日、ある会社の幹部の方と話をする機会があった。
その方は、『ゴマスリをする部下ばかりで困る。自分の考えがなく、誰かが良い提案をすると、それは自分のアイデアだと言って横取りするなど、本当に会社のことを考えて意見を言う人がいない。』と話されていた。そして、『肩たたきにあい、会社を愛しているにもかかわらず、今は第一線から遠ざけられている人間を探し出し、もう一度前線に復帰させ、会社を立て直そうと考えているんだ。』ともおっしゃっていた。以前は、こういう話は伺えなかったが、私もこんな話をしてもらえる年齢になったのだ。
『言いたいことをはっきり話す人は、よほど数字を上げて会社に貢献している人か、またはバカだ。』となると、言わないほうが賢明だ。せいぜい同僚との話の中で、『会社の上司はアホや』と愚痴ったりする程度だ。だから会社も良くならない。大会社のオーナーといえども、スーパーマンではない。良いことを考えついても、部下がそれに同意して動けば良くなることもあるだろう。従業員のレベルが低ければ、他でやれることでも難しいこともある。
とりあえず、どこまで従業員のレベルアップが図れるかだな。

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第651号 2012年8月10日「夏」

60歳にもなれば体力も衰えてくる。連日放送されているオリンピックのテレビ観戦で夜更かし気味の上、昼中はクーラーの中にいるから身体がおかしくなるのは普通?身体がだるいし眠い。年のせい(心の中では『私はまだ若いんだ!』と思っているが)もあるかもしれない。この暑さで、毎朝の散歩やランニングも抑え気味だから、一万歩に届かない。熱中症にかかるのはイヤだから、無理をすることもない。
小学生の頃は、プールに入ると気持ちがよく、夏が大好きだった。と言っても、好きになったのは5年生の夏からで、それまでは泳げなかったから夏は嫌い。赤帽の海の学習はまったくイヤで出席したくなかった。水の恐怖がなくなると、今度は楽しみに変わり、水泳部に入部して6年生では競技会にも選手で出してもらえた。
つまりは恐がりなんだ。鉄棒は今でも出来ない。スポーツは何でも好きだが、身体が硬く、飛び箱もマットもダメだったから体操は苦手だった。オリンピックを見ていると、アクロバットのようで、競技がますます難しくなっているのがわかる。100m走も10秒を切るのが夢だった時代もあった。どこまでタイムが縮まるか興味はある。現代は着用するウェアによってもタイムが変わる?身体の隅々まで研究しつくして開発されている。
ロンドンオリンピックで今回日本がメダルを多く取れているのは、その研究成果もあるのだろうか?

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第650号 2012年8月6日「夏休み」

小・中学生の夏休みが始まったと思ったら、もう8月。
私が子どもの頃は、毎日嬉しくて鶴舞公園を遊びまわったり、一日中プールで遊んだりしたものだ。昔は、我々の自己管理態勢の下で、自由に施設を利用させてくれた。もちろん監督の先生も時々は見回りに来てはいたが、ほとんど我々の自由だった。そして、一度も事故もなく過ごしてきた。
今は、連れ去りがあったり、難しい管理規制で縛られたりと、何もさせてもらえない。何か事故でもあると、すぐ先生やら指導者の責任追及になる。育てた親やその背後にある環境はどうだったのか?我々親たちは、悪いことをしている子どもを他人の子どもであっても叱ることをしているか?我が子であっても叱ることのできない親ばかりで、何かあると、他人に『叱ってやってください』とお願いする親、自分の子の味方をし、子どもが悪いことをしても反省しない、謝らない親の多いこと。と書く私もその中の一人だが・・・。夏休みになると、夜中に繁華街で遊びまわったり、非行に走る子どもが多くなるそうだ。そんな子達を見守る親はどんな生活をしているのか?
盆踊りや花火のシーズンが始まった。きちっとした家庭には非行に走る子どもなんて生まれない。悪くするのは親や環境だ。

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第649号 2012年8月3日「暑中お見舞い申し上げます No.2」

暑中見舞いのハガキが少なくなった。これだけ暑いと、書く気にもなれないのが本音。でも、いただく側の気持ちからすると、差出人を思い出して懐かしく思ったりする。
手紙やハガキは残るもの。10年前のハガキ、30年前のハガキ、そして50年前のハガキが出てくると嬉しくなる。だから、私は通り一遍の文章は書かない。あとから見ても『おもしろい!』と思うような暑中見舞いがほしいと思うからだ。
以前、知人から『お前さん、病気だっただろう』と言われたことがある。本当に驚いた。実は入院中で、そこで書いていたからだ。何年も私のハガキを見ていると、私の動向までわかるのかな?しかし、それほどまでに自分を心配してくれていることに感謝した。
私の正月や夏の挨拶のハガキは、その日の気分で『洒落(しゃれ))だよ!』と思いながら書き続けたい。『高齢につき、正月のご挨拶はこれで終わりにしたいと思います』というハガキをいただいた。寂しい気持ちと共に、もっともっと長生きしてほしいと願った。だが、4月初めに亡くなられた。その方は忙しい方だったが、何百通?いや、千通以上かな?、必ず直筆で一言添えられていた。自分の一生がわかるのかとハガキを見直し感心した。
挨拶にも色々な方法があります。時には手紙やハガキで様子を知らせるのもいいかな。
今年も暑い夏が続きます。水分をたくさん補給して、熱中症には気をつけてください。

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第648号 2012年7月30日「暑中お見舞い申し上げます」

648いつの間にか梅雨明けし、子ども達も夏休みに入り、また、朝のラジオ体操がにぎやかになった。この時間になると、親子連れの明るい声がする。
私の子どもの頃は、朝起きるのが苦手で、ラジオ体操の記録印も半分くらいしか貯まらず、全日出席の人たちと比べると、後日もらえたプレゼントも少なかった。早起きして運動することは、身体にとてもよいということはわかっていても、なかなか続かないものだ。私も、雨の日や飲みすぎた次の日は出掛けたくないこともあり、何度も挫折しそうになった。これを止めたらそれこそ病める身体が一層悪くなるばかりと思い、また始めたりして何とか続けている。
『おじさん!』と子ども達から言われる言葉はまだ我慢できるけど『おじいさん!』はイヤだなぁと思う。いつかそんな呼びかけが多くなるだろう。
先日、ドラッグストアでシャンプーするだけで髪の毛が黒く染まるという商品を見つけ買ってみた。『本当に黒くなるのかな?』と思いながら毎日洗っている。短髪だから染まるのも時間がかかるのかな・・・?
暑い日が続きます。お体をおいたわりください。

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第647号 2012年7月27日「昔の話-私のこと No.21」

平成11年の春に私の母が亡くなると、今度は女房のお父さん、お母さんと亡くなり、毎年のように法事も続いた。
仕事のほうでは、母さんは事務を勉強し、私は『友の会』の残務整理が続いていた。まだ、総合呉服も売れていた頃だった。自店だけで名古屋の中心地・栄で年3回の展示会を開催した。販売品目の中身が少しずつ黒の礼服とか宝石とか着物以外のものが入るようになり、呉服では振袖販売に力を入れるようになった。おしゃれ呉服の大島紬や羽織が売れなくなった。当店では、婚礼寝具も扱っているが、これまでは組夜具を嫁入り道具として持参される方が多かったが、羽毛布団が主流になると次第に婚礼ふとんも売れなくなった。
毎日店に出ることで、肌で感じることがたくさんあるが、自分が平成の初め頃から着物を着用するようになって、『きものっていいね!』と話すお客様の真意は何か?と考えた時、たまに着用して気づくこと、毎日着用して気づくこと、今後のきもの業界はどうなるだろうか?私達の年代の者が方向を示さなくてはいけないと思う。

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第646号 2012年7月20日「昔の話-私のこと No.20」

平成10年、長年勤めてくれた事務員が退職すると、途端に日々の事務に困った。日頃、お世話になっている会計士に頼んでみたが、毎日の事務はできないと断られ、お客様でもあるUさんにお願いし事務員として雇った。
Uさんというのは物知りで、美味しい食べ物屋さん、店舗改装工事会社、写真屋等、事務以外のことも色々よく知っていて紹介もしていただいた。切手やコインの収集もすごかった。変わった切手などは売ってもらい、それを貼って送るとお客様に喜ばれた。
入社後、数年経過した頃に透析をされるようになり、週二日は病院通いになった。ひとりで生活されていたので、食事も大変だったと思う。病のことはよく勉強されていた。私の病気についても色々と助言くださった。頭の良い方は、上から目線で話をされることが多く、物事をきちんと説明してくださる方は少ない。この方は、私のレベルに目線をあわせて何度でも話してくださった。すごい人だった。
12月1日の命日は、私にとって一生忘れられない日となった。

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