きもの選びは友達探し、あなたの笑顔に癒される by かずまさ

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第663号 2012年9月25日「母」

秋ですね。朝の散歩時は、とても気持ち良く感じられます。
9月生まれの私は、昔、お袋に『涼しくなってから生まれたから親孝行だね』と言ったことがある。すると、『お腹に子どもがいると暑いんだわ。お前さんは、夏の暑い間お腹にいたから大変だったよ。』と反対に叱られた(?)何も知らなかったんだな、とその時思った。
そんな私も62歳を迎えた。兄弟が多かったのと、家業が忙しかったのとであまりかまってもらえず、親との縁が薄いと思いながら成長した。我が子たちもまったく同じだったか?『いや、そんなことがないよう、夏休みも冬休みも旅行に連れて行ったりしたじゃないか。』と思いながら、近ごろ、母親のことをふと考える。
自分はお祖母ちゃん子になり、毎日の食事の世話も進路のことも母には何も相談してこなかった。振り返ってみると少し寂しい。今ごろ気づいても仕方のないことなのだが、亡くなってから気づくことの方が多いのかもしれない。
『あのね、あのね、今日○○君がね、○○の話を・・・』『お袋、俺この高校へ行きたいんだが・・・』『この人と結婚したいんだが・・・』いくらでも甘えられたのに、いくらでも相談し、意見が聞けたのに、そんな時間を持たなかった。一度だけ過去の会いたい人に会わせてあげる、などという機会があったら、お袋にあれこれ相談してみたい。お袋は優しいから、きっと『お前の好きなようにしたらいい』と言うんだろうなぁ。

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第662号 2012年9月21日「昔の話-私のこと No.25」

平成16年9月に、東京の雑誌社・PR現代から、情報誌『sakura』の名古屋地区の枠が空いたからやらないかとの誘いがあり、以前から利用したかった雑誌だったのですぐに始めた。
PR現代から、京都で450年営んでいる京友禅の老舗メーカー『千總』を紹介していただいた。高額品を売るには商品知識やテクニックが必要だが、いくら良い取引先から良い商品が入荷してきても、当時の一年生ではレベルが低すぎた。従業員研修のために京都や金沢にも行った。私が焦るだけで、毎日少しずつの成長しか望めなかった。
DMも私が作ったものでは、研究され尽くした振袖店のDMには勝てっこない。振袖専門店は、毎週のように立派なDMを送っていた。
平成17年に入り、日比野店の番頭が退社した。猪子石店店長夫婦の退社より2年遅れの67歳での退社だった。退職金の関係もあり、一度に退社にならなくて有り難く思った。しかし、その後、後任店長がなく、仕方なく閉店し、跡地はパーキングにした。平成17年には親父が理事長をしていた名古屋呉服商協同組合の理事になった。

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第661号 2012年9月18日「昔の話-私のこと No.24」

何もわからないまま友人の紹介で始めたホームページも、振袖の色が現物とまったく違うものになってしまったりなどの数々のトラブルに見舞われ、やむなく別の制作会社に任せることにした。
平成16年になり、番頭たちの定年退職が始まった。番頭を慕って勤めてくれていた人たちも一緒に退社した。2年間で12人が辞めた。退社してほしくない人もいたが、私には引き止める力はなかった。
4月からは、私の猪子石店勤務が始まった。友人からの紹介で急きょ入社した女性と二人で店を開けた。手伝い店員(マネキン)や古くからの知人等の応援をいただきながら求人をし、次第に増えた。従業員は少しずつ増えたものの、しょせんは1年生ばかり、売上は出来なかった。
DMを利用するしかないと考えた。番頭からは『大人のオモチャ』と注意・助言されていたホームページにも力を注いだ。商品は振袖を中心にし、京都のT社・I社のブランド振袖を扱い、広告宣伝の方法等も教えてもらった。その頃の振袖専門店では、すでにテレアポ、オリジナル振袖、ブランドレンタル振袖、ヘアー・メイク・着付の特典等を取り扱うのが当たり前の時代に変化していた。当店ではまったくわからない世界だった。しかし、やるしかない。『よーし、これから勉強するぞ!』という意気込みだった。

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第660号 2012年9月14日「着重ね」

私の独断と偏見で言わせてもらえば、きもの業界のトップは『永遠の着物バカ人間』であってほしいと願う。
日本の着物文化の歴史を遡(さかのぼ)れば、着物を着用してきた期間は洋服よりもずっと長い。いくら温暖化が進んだといっても、冬がなくなったわけではなく、日本には昔からの四季があり、『着重ね』文化は相変わらず残っていると思う。
確かに現代は、夏はクーラーをかけ、冬は暖房を入れることで、昔ほどの着重ねをする習慣はなくなった。しかし、冬の寒い時に、外出することがあれば、ロングではなくても七分丈のコートを羽織ることはある。暖かい家から車に乗り、暖かい所へ行く、少しの寒い時間しか外にいないからというのなら別だが、普段の生活を見ても、『着重ね』は必ず人々が体験していることだ。着物着用者は、すべて芸能人か有名人か?冬の寒い時でも暖かい所からは出ない人や、夏の暑い日にも外に出ない人が着用するものが着物だろうか?そうではないはずだ。
22年間毎日着物を着用していて気づいたことは、やはり暑い夏には素材を考えて涼しくなる工夫をし、冬の寒い日には重ね着をし、綿入れを着ることで身体を守り着物文化を守る。長年先輩達が行ってきた生活習慣が、温暖化だからといって多少暑い日が続いたくらいで変わるものではないと思う。
毎日着物を着用されている人が着物販売を生業(なりわい)としている人と会話した折に、本当に着物が好きなんだなという印象を抱いていだだけたら『着物バカ』としてはうれしい。毎日着用するには根底に便利を超えた『当たり前の着物慣れ』があるのではないかと思う。

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第659号 2012年9月11日「お願いします」

ベテランから見れば未熟者ばかりの集団ではあるが、少しづつだが上向きに変化しているように思う。弟が退社して2年、新しく入社した人たちも仕事に慣れ、自分の店という責任を持つようになった証かもしれない。仕事が出来ないのは社長の私だけになった。
再来年の成人式ポジ、卒業レンタル袴のポジとも各社から届き、ホームページもリフレッシュ。ホームページ担当のYさん、Aさんも大忙し。DMにも新しい人気モデル達が登場し、また、新しくアプリも始め、レトロ5298で検索してもらうとたくさんのコンテンツを見ることが出来ます。検索方法は新DMでもご紹介しますので、ぜひご覧ください。
近ごろ、『こんな振袖ない?』というお尋ねも多く、取引先に問い合わせて取り寄せが出来る商品はご覧いただいています。この業界は種類が大変多いため、お調べしきれない商品もありますが、艶やかで可愛い、そしてあなたをより美しく演出できる品を探したいと努力しています。どんどんご注文ください。

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第658号 2012年9月7日「秘です」

月に一度、振袖21グループの会合に出席するため京都へ出掛ける。9月4日の例会では、いつものメンバー10人程が集まり近況報告会も開いた。
我が店では、7月・8月と26年成人の方にもDMを出したが、月に一度しか出さなかった25年成人のお客様のほうが成約が多かった。夏休みに帰郷され、振袖を見る方も多かった。
ホームページでは、やっと新作の菜々緒や大島優子・トリンドル玲奈の振袖がUPされ、古典では千總・滝泰(たきたい)等有名メーカーもバージョンアップさせた。モデルに着用させて写真撮りをするのが一番なのだが、経費節減の折、まずは少しでも早く発表することが第一と思い、衣桁撮りとボディー撮りでUPした。時間をみて、当店のお客様にモデルになっていただき写真撮りをしていきたいと考えてる。
しばらくは、来年再来年お客様が来店されると思う。これからメーカーでの新作展も続くので、どのブランドにするか悩む毎日になりそうだ。

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第657号 2012年9月4日「昔の話-私のこと No.23」

平成13年4月、名古屋専門店協会の理事長となり、同時に商工会議所議員(小売副部会長)と日本専門店会連盟監査役にも就任した。それからの6年間は、良い経験をさせていただいた。番頭たちは60歳を過ぎ、定年が近づいていた。今思えば、この時期に、これからの正直屋の方向性を従業員にきちんと説明し、指導しなくてはいけなかった。横領事件の最終の後片付けや、以前から検討してきたインターネットのホームページに取り組み始め、毎日が忙しかった。
平成15年頃になると、以前から白内障と診断されていた目の病気が実は緑内障だったということが判明し、すぐに眼圧を下げるレーザー手術を受けた。しかし、時すでに遅し、目は見えなくなった。初めから大きな病院にかかっていればよかった。
平成16年、運転免許証は貰えたものの、その後5年間、恐ろしくて運転はできなかった。

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第656号 2012年8月31日「昔の話-私のこと No.22」

656うるさく言う人がいなくなり、自分の思うように仕事が出来るようになると思った。確かに気楽にはなったが、まだ親父ほど信用のない私は、店に対する危機感も無く、他人は私がどう動くかを眺めていた。
生存中は、『父がそう言った』 『父に言われた』で済んでいた。いなくなってからはそんなことは言えなくなった。問屋さんや同業者との交渉事、銀行とのお付き合い、親父がしていた日々の仕事の難しさを、もっと以前から知っておくべきだった。
その頃、友の会の整理で忙しく、店の経営のことなどは考えていなかった。
オーナーは、長いスタンスで物事や世の中の動向を観察・思案し決断する立場の人間なのだということがわからない。小突かれて学ぶしかないのだ。
番頭もいたし、厳しい中でも売上は出来ていた。
親父は私の性格を考え、何も指導せずに亡くなったのか?いや、指導しないほうが良いと判断したのか?わからない。

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第655号 2012年8月28日「夏の終わりに」

セミの鳴き声が少しずつ弱々しく聞こえるようになった。今年の夏もまったく暑い日が続き疲れた。ますます異常気象が進んでいるようで、天気予報が気になって仕方がない。風速70メートルの台風が来ている?聞いたこともない話がテレビから聞こえてきた。本当だろうか?そういえば原発の時もそうだったが、考えもつかない出来事が普通に起きる時代なのか?恐ろしい。
今年の夏は名古屋から離れなかったから、のんびりした農村風景や野生の小動物や昆虫も見なかった。子どもの頃、トンボやチョウを追いかけて育ってきたから、見られなくなるのは寂しい。星を見るのも好きだった。兵庫にある女房の実家の夜空はとてもきれいで、流れ星が毎晩見られた。
夏休みも終わり。8月末から9月初めは宿題の追い込みで忙しかった。夏中ボーっとしているのは今でも同じ。誰かさんが生きていたら、『シャンとせい!』と怒鳴られそう・・・。

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第654号 2012年8月24日「成人式 ふたたび」

先日、名古屋のテレビ局から問い合わせがあった。
『おばあちゃんが振袖を着用する地域や儀式みたいなものがあるそうだが』と・・・。その日はお店が休みだったので、私は外出先でその問い合わせの電話を受けた。自分の記憶の中では聞いたこともなく、『ありません!』と即答した。
盆休み中だったので、調べたり人に尋ねたりすることができなかったのだが、盆明けに、ある専門雑誌社の編集長に伺ってみた。すると、小倉・岡山・八王子のきもの屋さんでは、還暦祝いとして、3月3日のひな祭りの日にそんな行事を行っているというのだ。カラオケの舞台衣装等として中高年の女性が振袖を購入するという話は聞くが、厄払いやお祝いのために着用するなどどはまったく知らなかった。振袖は、未婚女性が魂振りをすることで異性を呼び、幸せを与えるものだと教えられていたので、それ以外に利用するなどとは考えもつかなかった。
これをきっかけに色々と考えてみた。現在80歳前後の方々は、戦時中から戦後の激動の時代の中で、現在のように成人を祝ってもらったという経験を持つ方は少ないだろう。そんな方々にとって、振袖姿は一生の記念になるのではないだろうか。3月3日なら成人式と卒業式の間で、季節としてもとても良い。その時期なら振袖もたくさんある。良いアイデアではあるが、なかなか実現は難しいかな?機会があればやってみたいが・・・。

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