

第981号 2023年4月21日「期待」
例年4月から6月は、比較的、暇な時期である。そこで、昨年は若い人の提案でホームページの『振袖』を大幅にリニューアルした。今年は『卒業袴』を直すことにした。
しかし、じっくりチェックしていると、修正が必要な箇所がいくつも現れ、直しても直しても追いつかないという具合で困っている。自分としては、改良しているつもりなのだが、若い人は根底から悪い(?)と思っているようだ。でも、ボヤキながらも修正してくれているのでありがたく思う。
動画も、本当はもっといろいろ載せたいのだが、なかなか良いアイデアが浮かばない。今度、インスタに自分で撮ったものを載せると言っているので楽しみにしている。
何だかんだと、いろいろ注文を付けてくる人は多いが、己で提案したり行動する人は少ないように思う。失敗してもいいから、とにかく行動してくれることを期待している。
時が進むのは早い。大企業は人材の整理、店舗の見直しも速い。我が店は最小限の人員で動いていて、不要な人材はひとりもいない。皆がそう思って仕事をしてくれている。ありがたく思う。
第980号 2023年2月22日「今年」
Twitter、Meta、Amazonの人員削減は、今後を考えると恐ろしい話だ。繊維業界、特に呉服業界では、すでに20年以上前から企業整理は始まっていたが、ここ数年のコロナの影響で、一層加速した。
転職がスムーズにいけばいい。40年近く同じ職場で働いた人にとって、他の仕事に移るのは相当厳しい。選んだ仕事が悪かったのか?現在60歳前後の方にとっては身に迫る思いだろう。地位の高い人ほど、また一年生に戻ることなんて出来ない。もちろん業種にもよるが…。
今年の予測を聞いても良い話が無い。昨年以上に厳しい。テレビのニュースを見ていても良い話題が無い。何かひとつでも良いことを見つけて前に進みたい。出来ないことを探すより、簡単なことでいいから出来ることを見つけて日々過ごそう。体の悪い自分は、そう思う。
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第979号 2023年1月4日「新年のご挨拶」
第978号 2022年11月30日「祖父 奥田正直」
正直屋の創業者である祖父は『正直に勝る商いはない』という家訓を残した。私と同じように糖尿病で白内障、父に代を譲ってからも、日々、着物姿で店頭に座っていた。
来店されたお客様の声を聞き、『〇〇さんだね』と答えた時があった。自分のお客さんの声はわかるんだ…とビックリした。その頃、すでに目はボヤーッとしか見えておらず、お客様を見て、誰なのか判別することはできなくなっていた。
当時、私は大学生で、祖父母と同じ別宅に住んでいた。私はおばあちゃん子で、何かと祖母に甘え、祖母の近くにいることが多かった。小学生の頃は、祖父によく叱られた。毎日、祖母から愚痴を聞かされていたこともあり、祖父に対して良い印象は持っていなかった。
その祖母が、祖父の葬式の折に大泣きをしたから驚いた。あれだけ悪口を言っていたのに…逆の愛情表現だったんだ。当時はわからなかった。
祖父の死後、遺品から、いろいろな役職に就いていたんだなぁ、とか、お人好しだったんだなぁ、とか、私の知らない祖父の別の姿を垣間見ることができた。祖父母は、3人の子どもを育て上げ、戦争という暗く厳しい時代を生き抜いてきた人たちだ。家訓の重さを思う。
第977号 2022年10月31日「仕立屋さん」
50年も着物業界に携わっていると、時代の変化を痛切に感じる。50年前は着物もよく売れた。普段から着ている人も多かったし、昭和20年~40年代生まれの女性は、着物を作って嫁入り道具として持参される人が多かった。特に冠婚葬祭に着用する礼服は必ず作って持っていかれた。常着として着ていた人は紬や小紋など、いろいろな着物を作っておられた。
現在、着物を着られる方も減り、そうなると、着物を作る職人さんや仕立屋さんも減っていった。特に仕立は、仕立代金の安い海外仕立に移っていった。ゆかたなどは、わざわざ反物から仕立てるのではなく、仕立上がり品(プレタ商品)に変わった。毎日着用される人は、サイズにこだわるが、着物の知識のない若者たちは、サイズの合わないプレタ着物でも平気で着ている。
私がこの業界に入った頃は、毎日仕立屋さん廻りの仕事があった。振袖・喪服・ゆかた・ウールなど、商品の素材や値段によって仕立屋さんも分かれていた。ご自身で仕立のできるお客様などからは、いろいろと注文も多かった。
現在は仕立屋さんも減った。仕事が無いからだ。着装されれば洗い張りや仕立も出てくる。着装しなくなれば、その仕事も無い。仕方がない。
第976号 2022年9月12日「私の意見」
≪株式会社北白川書房 発行『月刊なごや』2022年8月号から転載≫
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子どもの頃から、自分の家の庭のように親しんできた鶴舞公園。
2018年、陸上競技場があった場所に多目的グラウンド「テラスポ鶴舞」がオープン。翌19年には、名古屋市公会堂の改修工事が終わり、次は、カフェやレストランができるとか。
鶴舞公園には、昭和12年(1937)に東山へ移るまで動物園があったそうで、その名残りで私が小学生の頃は猿と鳥の飼育舎があった。スマホやテレビゲームなどがない時代、公園でよく遊んだものだ。すべり台やブランコでも遊んだが、夏には昆虫採集、魚釣り。夏休みが終わる頃には皆、日焼けして真っ黒になっていた。
また、鶴舞公園は花の名所としても知られていて、4月の桜から始まり、チューリップ、つつじ、バラ、菖蒲、紫陽花、蓮と楽しめる。子どもの頃には、そんな豊かな季節の移り変わりを感じられる場所であることに気づかなかった。
40歳を過ぎ、朝の散歩とラジオ体操を日課とするようになった。早朝のラジオ体操には100名以上もの高齢者が集い、大にぎわい。中にはジョギングをしている人もいる。
そんな素晴らしい鶴舞公園に対して、願っていることがある。それは、昔のようにトンボや蝶やバッタがいる公園に出来ないか?ということ。東山動植物園や熱田神宮には今でも昆虫たちがいると思うが、鶴舞公園では10年以上も前から見かけなくなってしまった。蝉だけは元気に鳴いているが、ツクツクボウシやチッチゼミの鳴き声は聞こえてこない。
トンボがいなくなった原因は、池の中にブラックバスなどの外来魚がいるからで、トンボの幼虫のヤゴや小魚を食い尽くしてしまったからだ。蝶がいなくなってしまったのは殺虫剤のせいだろうか?花には蝶、自然の中には昆虫たちがいてほしい。
子どもたちには、幼少期の体験として、虫取り網と虫かごを持って走り回る、夏ならではの遊びを味わわせてあげたい。
鶴舞公園を30年前の環境に戻せないかな!