きもの選びは友達探し、あなたの笑顔に癒される by かずまさ

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第854号 2015年1月19日「成人式の反省」

毎年、成人式を終えてから一週間くらいの間、ヘア・メイク・着付のサービスについて、ご満足いただいたお喜びの声やご不満だった点を伺うことになる。いろいろな反省点が出てくるが、次年にはそのような失敗がないよう、その都度工夫している。
今年は、支度に時間がかかり過ぎるとお母様からお叱りを受けた。通常、ヘア・メイク・着付には1時間から1時間半ほどかかるのだが、2時間半もかかったというのだ。その時の状況を美容師の先生に尋ねてみると、途中でヘアスタイルの変更があり、それで時間がオーバーしたのだそうだ。
困った話だ。ひとり一時間遅れると、その分、次の人も同じように遅れていくのだ。こだわりのある方は、本番前に美容師と細かい点まで打ち合わせをしておいていただきたい。今回は、他の美容師たちがカバーしてくれたので、他のお客様たちにご迷惑が掛かるようなことはなかった。
ある店では、お客様がトイレに入った時に困らないようにと、長い袖を止めておくためのピンチを配ったのだそうだ。とても良いアイデアだ。もっと早くその話を聞いていれば全店で対応できたのにと残念に思った。ちょっとした配慮の積み重ねが、われわれ専門店のサービスの向上に繋がる。
『当日の朝は、少しでも食事をしてきてくださいね』とお願いすることを全店で周知徹底させているのにもかかわらず、食べずに来店される方がある。そんな人のために、各店お菓子などの簡単につまめるものを用意してはいるが、途中で具合が悪くならなければいいがと心配になる。
男性の紋付羽織袴姿の方が昨年以上に増えた。昔からある黒ばかりではなく、色も柄も現代的でオシャレになった。清武や遊助バージョンが人気だ。、成人式当日の夕方には、流行に敏感な来年の新成人が借りに来店された。
成人を迎えられ、これからは大人としての責任がのしかかってくる。これまでの成長に対し、ご両親に感謝して、これからの生き方をじっくり考える時間も作っていただきたい。

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第853号 2015年1月7日「着物のこと No.4」

853以前、京都の職人さんの高齢化の話を聞いたことがある。我店の仕立屋さんの高齢化も深刻だが、幸いなことに若い仕立屋さんもいる。しかし、彼女には小さいお子さんがいて、そちらに手がかかるだろうと、倍の時間がかかることを想定して仕立てに出している。だから、早く出来上がってきた時には『ラッキー!』と思う。
近ごろ、注文の少ない商品も出てきた。雨コート、絹の夏物、常に着用されていない品は仕立が出来なくなり、メーカ―に出すなどして補っている。綿入れの袢天(はんてん)などは既製品が安価で売られるようになってからは皆無だ。先日、丹前真綿を購入されたお婆さんがいたので、何に使うのか尋ねてみたら、身内の袢天を作るのだと話しておられた。表地は絹、中綿も本真綿だから軽くてとても暖かいだろうと想像する。以前にもそういう注文を受け、既製品との違いを知っているからわかるだけで、既製品しか扱っていなかったらわからない話だ。
着物の世界も、どんどん欧米化している。洋服の世界では、ワンナイトパーティードレスとかいうものがあるらしい。一晩使用できれば良しとした、それなりの品質と縫製のドレスのことらしい。反対に、日本の格安衣料メーカーは、良品をいかに安価で販売するかという努力をしている。
日本の着物は、何度でも作り直すことができるというのが利点であった。だから、購入して大切に扱った。祖母の着物を母が着て、またその娘が着る。そんなことが当たり前のようにされてきた。日本人の物を大切にする魂というのが根本にあったからだ。
レンタル着物が多くなった。ワンナイトパーティードレスと同じ考え方なのだろう。どうせ一日だけだから安価な品でいい。着物のたたみ方も知らない。そんな時代だから仕方がない。日々着用する品でもない。
最高の繊維である絹は、これから増々生産が減ってくる。糸を作ることに手間がかかりすぎるからだ。ただ、着るものとしての需要は減っても、他の品での利用は増えるかもしれない。
時は移り変わり、人も変わる。その時代に適応した衣が当然残る。日本人はこれから着物をどう捉(とら)え、残してゆくのだろう。100年後に成人式がまだ続いていたとするなら、その時、彼女・彼らたちはどんな衣装をまとっているだろう。

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第852号 2015年1月3日「新年のご挨拶」/「LINE」

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「新年のご挨拶」
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あけましておめでとうございます

病院で ヘモグロビンA1c や クレアチニンの数値を伺うのが ちょっと辛い
強がるために 雨の日も散歩する

今年も 健康でありますように        平成27年 正月 舩橋一正
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「LINE」
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LINEを利用している人は、平成26年11月末現在で5,200万人いるという。
インターネットをするようになってから、毎年、新しい単語や方法に悩まされ続けている。目が悪いので、自分では何ひとつ出来ない。ホームページを見る時は、見たいところを紙に印刷してもらい、それをチェックしている。メールにツイッター、Facebook、『いいね!』ボタン、Wi-Fi、そしてLINE。宇宙人の私には、何が何だかわからないことばかり。どうも同じ質問ばかりしているようで呆れられている。
インターネットをする人なら誰でも知っていることだが、商品の色や予算を設定して検索すると、たくさんの振袖の中から瞬時に希望の品を見ることができる。これは大変便利な機能だ。こんなことも出来るのかな、と頭の中で色々とイメージして、あれこれ注文を出すと、『それは出来ません!』と言われてしまうこともある。新しい技術や手法は追いかけっこだ。そのうち出来るようになるかもしれない。
メールは、迷惑メールに振り分けられてしまうと見てもらえない。先日、来店されていたお客様のスマホから何度も呼び出し音が鳴るので『出なくていいんですか?』と尋ねたら、迷惑メールだからいいのだと言っておられた。必要のない相手からのメールはすべて迷惑メールに入ってしまうのだな。LINEも、登録してもらわなくては見てもらえない。難しいね。差し当たり、まずはLINE登録100人を目指したい。
平成27年度は、DMやウェブサイトのほかにLINEの成果が気に掛かるようになるのかな?もし、面白そうだと感じたらLINE登録をお願いします。

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第851号 2014年12月29日「着物のこと No.3」

851着物販売において、昔は、担(かつ)ぎ屋という商いの手法があった。基本的には店を持たず、着物や小物類を持参して、お客様宅を廻るのだ。シミ抜きや洗い張りなどのアフターフォローもした。お客様の好みそうな商品を研究して商品の仕入れをした。着物を着る人が多かった時代には、お客様にとって大変便利な存在だった。着物を着て仕事をされる人は、四季に応じた品が必要となる。だから、担当者の手腕によって自分がより光り輝くわけで、だから大切に利用した。
正直屋に戻り、ひとりでお客様廻りをし始めた頃、お客様の中に、担ぎ屋さんで商品を購入されている方があった。その方からは多くのことを教えていただき、大変勉強になった。来店して購入していくお客様は、目的があっていらっしゃるから求められるものをお見せすればよい。お客様廻りというのは、いわば御機嫌伺(ごきげんうかが)いであって、訪問したお宅すべてから注文をいただけるわけではなく、訪問した日や時間帯によっては相手すらしてもらえない時もある。世間話の相手をするにも、それについていけるだけの知識が必要で、新聞を読んだり着物についての新しい情報を得ることが最も大切だ。番頭からは、『デパート巡りをして商品単価や流行を勉強してきなさい』とよく言われたものだ。
振り返ってみると、お客様から、その方が持っている品の自慢話を聞かせていただけるようになった頃から、自分の勧める商品も見ていただけるようになったと思う。しかし、わからない商品ばかりで、お客様に教えていただきながらの商いだったから、今思うと、よく購入してくださったものだ。お客様からすれば、後ろで番頭がフォローしてくれているという安心感からだったに違いない。正直屋ブランドの信用のお陰だと気づいたのは50歳を過ぎてからだ。そんなお客様も永眠し、番頭たちも定年を迎えて退社した。
今でもお客様廻りは続けているが、昔ほど廻るところはない。店にいると、たまに着物好きのお客様が来店されることがある。そうすると、昔覚えた商品知識の『おさらい』のような会話をすることがあり、とても楽しい。現在でも、毎日着物を着用されている嬉しいお客様もあり、そんなお客様の洗い張りやシミ抜きは少しでもお値打ちにしたいと思ってしまう。

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第850号 2014年12月23日「着物のこと No.2」

『ジロジロ見られるから着物を着るのをやめた』というお客様があった。現代は、どうしても着物を着なくてはいけない時などない。洋服のほうが気軽だし動きやすいし、ジロジロ見られることもない。
洋服でも、昔は普段着と外出着とに分けていたが、今は分けて着用することもない。若い人たちは、結婚式も葬式も、普段とあまり変わらない服装で出席する。時には新調することもあるだろうが、我々の年代から見れば、毎日が外出着の感じだ。着物も、昔はきっとそうであったに違いない。結婚式や葬式などは、年に何度もあるわけではない。
普段は、素材でいうなら綿・麻・ウール、暑くなれば裸に近い薄着にして暮らし、寒くなれば1枚2枚と重ね着をして温かくした。雪が降る地域は、綿入れを着用した。もちろん、生活着だから袖のない作務衣だ。いつから現在販売されているような袖の付いたスタイルを着物と称するようになったのかはわからない。
公家・武家・寺家の位の高い方たちは、日常、袖の付いた和服を着用されていたかもしれない。でもそれはごく一部で、全体の数%にも満たないだろう。彼らも、普段の生活の中では、やはり袖など付いていない衣を着用されていたと思う。袖が装飾品のひとつであったと考える方が理解しやすい。作務(仕事をすること)に、袖は必要ない。
袖には神が宿り、袖を振ることで幸せが舞い込むという袖振り信仰の話もある。長い年月、日本人は自然や物体に神が宿っていると信じてきた。これが神道だ。袖振りとは、つまり神振りなのだ。だから、特別な日に着用する。神が自分を守ってくれると信じたのだ。
袖の付いた着物が普通に着られるようになったのは、世の中が平和になった証明でもある。戦では、袖はジャマになるだけで必要のないものだ。一番良いスタイルで残ったのが今の着物かもしれない。
そんな縁起の良い着物を、私は毎日着用している。しかし、私自身も着始めた頃は、人が大勢いるような中心街を着物姿で歩くのはイヤだった。ジロジロ見られることにドキドキしたりもした。『きれに着用できているだろうか?』と気になって仕方がなかった。
だが、慣れてくるといい加減な着用でも『これが自分の着こなしだ!』と思うようになり、着付師に着付けてもらうきれいな着装に対しては、『締め付けられて可哀そう』と思うようになった。着物は自然に着なれていくのが一番。『曲線縫いの洋服と違い直線縫いの和服はきれいに着用するには着慣れるしかない!』と考えるようになった。『洋服に着付教室があるかい?』と思うのだ。
あと何年着物を着続けられるだろうか?自分勝手かもしれないが、自己流で着続けたい。それでいいと思う。

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第849号 2014年12月8日「日報」/「足袋 No.11」

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「日報」
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『あなたの店で黒留袖の仕立をしてもらったのだが、紋が付いていない。』という問い合わせを当店の係の者が受けた。
黒留袖は、表紋で5個の紋を入れる。私がそのお客様に電話を掛け直し、事情を聞いた。金沢へ嫁いだ娘さんが結婚相手からいただいた、別誂えで描いた品だという。そこまでされる方なら、嫁ぎ先の家紋を付けて贈るであろうと思った。
当店の係は、台帳を調べ、注文を受けた時の日報も調べて私に報告してきた。裏生地、比翼(ひよく)地、加工代、仕立代は伝票に上がっていた。その日の出勤は、私と女性従業員二人、そのうちの一人は和裁経験者だった。当店で加工をしているという報告を受けた時点で、絶対紋は描かれていたはずだと確信した。第一、別誂えで絵紋様まで描くような方が、紋を坊主で抜くだろうか?菱紋の方であれば、菱紋で抜き、そこに紋を描くであろうと考えたからだ。
4年前の平成22年5月に仕立をし、すでに一度着用されているという。お客様に再度電話をした。『絶対紋は付いているから、もう一度調べてください。』と。夕方、電話があった。もちろん紋は付いていた。良かった。
『紋は付いています。』と即答できなかったのは残念だったが、日報がきちんと残されており、その日の対応が予測できたことがとても嬉しかった。
毎日の出来事を記録するという当たり前のことを続けることは、簡単なようで意外と難しいものだ。だが、この一件で、その日報の重要性を再認識できたことは良かった。
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「足袋 No.11」
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きもの業を40年もやっていると、既成概念が強く、お客様の便利さよりも、足袋は綿でコハゼが付いているものだと思ってしまう。たまに、大人用でコハゼの無いソックスのような品がないかと尋ねられても、『そんなおかしなものは・・・』という気持ちから探すことさえしなかった。しかし、このたび、どうしても茶系のソックス調の品がほしいという要望があったので調べてみることにした。
自分自身が毎日着物だから、そういう気持ちにならない。それがいけないのだ。洋服を着用した時は、私もソックスだ。洋服を着ているのに足袋を履いている年配の方を見かけたことがある。それには、どこか不釣り合いな感じがした。子どもの頃から足袋に慣れ親しんでいる方は、足袋のほうが履いた時の感触が良いのだろう。
『着物はこういうものだ!』方式ではいけない。事実、子どもの足袋はソックス型が多い。そんな子どもが成長したら、ソックスが当たり前と思うのは当然。コハゼの止め方がわからないと答えるのが普通になる。こうやって新しい品に変わってゆくのだ。
知らないうちに、既成概念に縛られてしまっている。新しい物好きの発想で考えるのも悪くない。

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第848号 2014年11月28日「名古屋友禅 No.5」/「番頭 No.10」

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「名古屋友禅 No.5」
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前回(第847号)『伝統的工芸品』についてご紹介しましたが、そこで名古屋友禅も伝統的工芸品であると書きました。実は私、その名古屋友禅の宣伝マンなのです。正直屋のホームページでもご紹介しており、それを見た方から、工房を紹介してほしいと、時々問い合わせがあります。
『名古屋友禅』といっても、現在、手描きの作品は市場にはほとんど出ておりません。残念なことです。30年くらい前は、堀江勤之助さんという作家の方もいらっしゃったのですが、当時でも高額でした。どうせ高額な品を購入するのなら、知名度の高い京友禅や加賀友禅をと思うのが世間一般の考え方なのかもしれません。目にすることがなければ、欲しいと思っても手に入れることはできません。もっと世間に広く出回るような作品をと願うばかりです。
何人かの作家の方のお話を伺ってみると、すべての作業をほとんどおひとりでされているということでした。まさに逸品、そして一品限りの作品です。同じ柄でも、その時の気温や湿度、あるいは、お客様の好みで、色が濃くなったり薄くなったりと、まったく同じには仕上がりません。そんな手描きの良さや楽しみがあるのが名古屋友禅です。
興味を持たれたら、お電話ください。
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「番頭 No.10」
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外廻り中心の仕事となると、1日のスケジュールを前日には立て、時間を考えながら動かなくてはならない。正直屋では、男性社員は、主に遠方の顧客を廻った。昭和50年代から60年初めの頃など、車にクーラーなんて付いていない。暑い夏の日などは、車の中にいるより、お客様宅でアイスコーヒーでもいただきながら雑談していた方がいいに決まっている。営業で数字を作っている人は、そんなことも計算に入れながら廻っておられた。
そういう人は、とにかく雑談が上手い。商品の話はほんの少しだけで、あとは、そのお客様に合わせた話を巧みにされた。新聞やテレビ等から情報を得ることにも余念がなかった。
お客様宅へ行っても、応接間に上げていただき、話を聞いてもらえるようになるまでには大変な苦労が要る。番頭と一緒なら上げてもらえても、ひとりだと玄関にすら入れてもらえないこともあった。
雑談ができるようになるということは本当に難しい。ハードルを越えることになる。現在の商いの様子を見ていても、雑談ができるような従業員はいない。それでお客様が満足しているのならいいのだが、薄っぺらな講釈では、『なぜ振袖を着るのだろう?』というお客様の疑問には答えられない。
日本人というのは、習い事は形から入る。着物というものは、着てみると着づらくて活動的でないことを知る。そして、洗い張りをしたりリフォームすることにより、何度も蘇らせることができる。着物というのは、本人の体験により、その良さや魅力が増していくものなのだ。
上っ面だけの商いでは、いつかは消える。当店の第一番頭は、定年の日まで毎日着物を着ておられた。そういうスタイルの人がするこだわりの話や世間話は飽きがこない、くどくない。だから、お客様も聞き入ったのだろう。

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第847号 2014年10月7日「伝統的工芸品」

847『伝統的工芸品』と『伝統工芸品』は違うのです。
『伝統的工芸品』というのは、昭和49年に公布された『伝統的工芸品産業の振興に関する法律』に基づき、経済産業大臣が指定した製品のことを言い、それらには伝統マーク(伝統的工芸品のシンボルマークのこと)が貼られています。
このたび、京友禅の『久美すがた』振袖を本格的に取り扱うことになり、どのような製品が伝統的工芸品にあたるのか、基本的な約束事を調べてみました。
簡単に書くと、
・日常生活に使用されるもの
・製造技術・技法が100年以上継続されている
・工程が手工業で、且つ原材料も継続していること
・基本的に、産地に10企業以上または30人以上の従事者がいること
技術を守るにもルールがあるわけで、愛知県では12団体が対象となっています。きものでは、有松絞り、名古屋友禅。他では、名古屋仏壇、常滑焼、桐たんす、ちょうちん、扇子等。
確か、地下鉄吹上駅の近くにある吹上ホールに展示物があり紹介されていたと思います。
2020年東京オリンピックに向け、地域の伝産品を見直すのも悪くないですね。

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第846号 2014年10月3日「恩師 No.4」

思い出の中に現れる先生の中に、社会科の青木先生がいる。中学2年生の時の担任でもあった。
先生は、たいへん目が悪く、教科書や資料に顔が付くくらい目を近づけては授業をされていた。始業の3~4分前に現れ、終業の鐘が鳴っても4~5分は延長された。当時の自分は成績が悪く、歴史社会は特に嫌いだった。先生は、教科書に載っていない話ばかりをされていたと記憶している。歴史は、今なら熱心に聞いただろうが、当時は、話している内容の前後もわからず、興味もなかった。私にとっては、ただ眠いだけの授業だった。
青木先生が熱心だったということを、今ごろ理解してももう遅い。この先生には、公私共に大変お世話になった。時々、家に来られては父と話し、間接的に指導してくださった。先生の仕事は重労働だと今でも問題になっているが、このような先生は私にとってはまったくイヤな先生だった。叱ったりはしないから、余計に困るのだ。
自分の学生時代は、スポーツに関する思い出が多い。その中で、先生は例外だ。時々、穏和だった先生の面影を思い出す。

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第845号 2014年9月30日「恩師 No.3」

845私は、小学5年生の夏の初めまでは泳げなかった。顔を水中に沈めることができなかったのだ。小5の海の生活では赤帽だった。
柴垣先生という女性の先生に、『顔を水につけてごらん。』と言われてもなかなか出来ず、先生が体を支えてくれて、やっと恐る恐るつけることができた。『できるじゃない!次は水中で目を開けてみてごらん。ほら、簡単でしょ。』 『うん、うん。』 『次は体を浮かせてみよう。先生が体を支えててあげるから心配しないで!』恐怖感でいっぱいながらもやってみると、ゆっくりと体が浮かんだ。先生は手を放して、『できるじゃない!そしたら今度は手で水をかいてみようか・・・足もよ。』『泳げるじゃない!よかったね。』
水が怖くなくなると息継ぎを覚えるまでは、ひたすら手足を動かして泳いだ。同級生の小林君に息継ぎを教えてもらい、夏の終わりには50m泳げるようになった。プールが好きになった。毎日泳いだ。
6年生になると、村瀬君に誘われ水泳部に入った。夏中、プールの生活だった。運動オンチだった自分がスポーツに目覚めたのは、これがきっかけだった。
陸上を始めたのも、友人からの誘いだった。入部した時は、いつも一番ビリのランナーだった。短距離も長距離も飛ぶのもダメだった。しかし、毎日友人たちと走っているうちに、だんだん早く走れるようになっていった。毎日練習することは、自然と力がつくものだ。友人たちが良かったのだろう。毎日が楽しかった。
柴垣先生は、1・2年生の時の担任だったが、今はどう過ごされているのだろうか?小学校時代の先生は、この柴垣先生と6年生の時の担任以外は、失礼ながら名前も忘れてしまった。先生というのは、本当に大変な仕事だと思う。

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