きもの選びは友達探し、あなたの笑顔に癒される by かずまさ

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第658号 2012年9月7日「秘です」

月に一度、振袖21グループの会合に出席するため京都へ出掛ける。9月4日の例会では、いつものメンバー10人程が集まり近況報告会も開いた。
我が店では、7月・8月と26年成人の方にもDMを出したが、月に一度しか出さなかった25年成人のお客様のほうが成約が多かった。夏休みに帰郷され、振袖を見る方も多かった。
ホームページでは、やっと新作の菜々緒や大島優子・トリンドル玲奈の振袖がUPされ、古典では千總・滝泰(たきたい)等有名メーカーもバージョンアップさせた。モデルに着用させて写真撮りをするのが一番なのだが、経費節減の折、まずは少しでも早く発表することが第一と思い、衣桁撮りとボディー撮りでUPした。時間をみて、当店のお客様にモデルになっていただき写真撮りをしていきたいと考えてる。
しばらくは、来年再来年お客様が来店されると思う。これからメーカーでの新作展も続くので、どのブランドにするか悩む毎日になりそうだ。

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第657号 2012年9月4日「昔の話-私のこと No.23」

平成13年4月、名古屋専門店協会の理事長となり、同時に商工会議所議員(小売副部会長)と日本専門店会連盟監査役にも就任した。それからの6年間は、良い経験をさせていただいた。番頭たちは60歳を過ぎ、定年が近づいていた。今思えば、この時期に、これからの正直屋の方向性を従業員にきちんと説明し、指導しなくてはいけなかった。横領事件の最終の後片付けや、以前から検討してきたインターネットのホームページに取り組み始め、毎日が忙しかった。
平成15年頃になると、以前から白内障と診断されていた目の病気が実は緑内障だったということが判明し、すぐに眼圧を下げるレーザー手術を受けた。しかし、時すでに遅し、目は見えなくなった。初めから大きな病院にかかっていればよかった。
平成16年、運転免許証は貰えたものの、その後5年間、恐ろしくて運転はできなかった。

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第656号 2012年8月31日「昔の話-私のこと No.22」

うるさく言う人がいなくなり、自分の思うように仕事が出来るようになると思った。確かに気楽にはなったが、まだ親父ほど信用のない私は、店に対する危機感も無く、他人は私がどう動くかを眺めていた。
生存中は、『父がそう言った』 『父に言われた』で済んでいた。いなくなってからはそんなことは言えなくなった。問屋さんや同業者との交渉事、銀行とのお付き合い、親父がしていた日々の仕事の難しさを、もっと以前から知っておくべきだった。
その頃、友の会の整理で忙しく、店の経営のことなどは考えていなかった。
オーナーは、長いスタンスで物事や世の中の動向を観察・思案し決断する立場の人間なのだということがわからない。小突かれて学ぶしかないのだ。
番頭もいたし、厳しい中でも売上は出来ていた。
親父は私の性格を考え、何も指導せずに亡くなったのか?いや、指導しないほうが良いと判断したのか?わからない。

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第655号 2012年8月28日「夏の終わりに」

セミの鳴き声が少しずつ弱々しく聞こえるようになった。今年の夏もまったく暑い日が続き疲れた。ますます異常気象が進んでいるようで、天気予報が気になって仕方がない。風速70メートルの台風が来ている?聞いたこともない話がテレビから聞こえてきた。本当だろうか?そういえば原発の時もそうだったが、考えもつかない出来事が普通に起きる時代なのか?恐ろしい。
今年の夏は名古屋から離れなかったから、のんびりした農村風景や野生の小動物や昆虫も見なかった。子どもの頃、トンボやチョウを追いかけて育ってきたから、見られなくなるのは寂しい。星を見るのも好きだった。兵庫にある女房の実家の夜空はとてもきれいで、流れ星が毎晩見られた。
夏休みも終わり。8月末から9月初めは宿題の追い込みで忙しかった。夏中ボーっとしているのは今でも同じ。誰かさんが生きていたら、『シャンとせい!』と怒鳴られそう・・・。

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第654号 2012年8月24日「成人式 ふたたび」

先日、名古屋のテレビ局から問い合わせがあった。
『おばあちゃんが振袖を着用する地域や儀式みたいなものがあるそうだが』と・・・。その日はお店が休みだったので、私は外出先でその問い合わせの電話を受けた。自分の記憶の中では聞いたこともなく、『ありません!』と即答した。
盆休み中だったので、調べたり人に尋ねたりすることができなかったのだが、盆明けに、ある専門雑誌社の編集長に伺ってみた。すると、小倉・岡山・八王子のきもの屋さんでは、還暦祝いとして、3月3日のひな祭りの日にそんな行事を行っているというのだ。カラオケの舞台衣装等として中高年の女性が振袖を購入するという話は聞くが、厄払いやお祝いのために着用するなどどはまったく知らなかった。振袖は、未婚女性が魂振りをすることで異性を呼び、幸せを与えるものだと教えられていたので、それ以外に利用するなどとは考えもつかなかった。
これをきっかけに色々と考えてみた。現在80歳前後の方々は、戦時中から戦後の激動の時代の中で、現在のように成人を祝ってもらったという経験を持つ方は少ないだろう。そんな方々にとって、振袖姿は一生の記念になるのではないだろうか。3月3日なら成人式と卒業式の間で、季節としてもとても良い。その時期なら振袖もたくさんある。良いアイデアではあるが、なかなか実現は難しいかな?機会があればやってみたいが・・・。

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第653号 2012年8月20日「盆休みを終えて」

4日間の盆休みもあっという間に過ぎた。
今年は、どこへも行かず家にいたので、ゆっくり両親や祖父の墓参りに行けた。8月13・14日ともお参りの間は雨も降らず、ただ暑いだけの日中の墓参りだった。祖父母(奥田家)の墓参りをしているのは私たちぐらいになってしまったようで寂しい気がする。いつも通り、草むしりから始まり夫婦で手を合わせた。祖母には、子ども達も生前ずいぶんお世話になった。盆と正月には草むしりに来るようにしているが、そんな程度しか来ることができないことに申し訳なく思う。まだ仕事が出来ていることに感謝しなくてはいけない。
盆休み中は、ほとんど店や部屋でゴロゴロしていた。早すぎる起床に慣れてしまい、オリンピックが終わっても毎朝4時頃には目が覚めてしまう。だから、自然と夜は早く眠くなる。朝の散歩、ラジオ体操も8月に入ってからも皆勤賞だ。休み中、酒が毎日になってしまったが元に戻そうと思う。
盆が終わると本格的に着物のシーズンに突入する。良い商いに繋がるといいな。

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第652号 2012年8月12日「ぼやき」

先日、ある会社の幹部の方と話をする機会があった。
その方は、『ゴマスリをする部下ばかりで困る。自分の考えがなく、誰かが良い提案をすると、それは自分のアイデアだと言って横取りするなど、本当に会社のことを考えて意見を言う人がいない。』と話されていた。そして、『肩たたきにあい、会社を愛しているにもかかわらず、今は第一線から遠ざけられている人間を探し出し、もう一度前線に復帰させ、会社を立て直そうと考えているんだ。』ともおっしゃっていた。以前は、こういう話は伺えなかったが、私もこんな話をしてもらえる年齢になったのだ。
『言いたいことをはっきり話す人は、よほど数字を上げて会社に貢献している人か、またはバカだ。』となると、言わないほうが賢明だ。せいぜい同僚との話の中で、『会社の上司はアホや』と愚痴ったりする程度だ。だから会社も良くならない。大会社のオーナーといえども、スーパーマンではない。良いことを考えついても、部下がそれに同意して動けば良くなることもあるだろう。従業員のレベルが低ければ、他でやれることでも難しいこともある。
とりあえず、どこまで従業員のレベルアップが図れるかだな。

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第651号 2012年8月10日「夏」

60歳にもなれば体力も衰えてくる。連日放送されているオリンピックのテレビ観戦で夜更かし気味の上、昼中はクーラーの中にいるから身体がおかしくなるのは普通?身体がだるいし眠い。年のせい(心の中では『私はまだ若いんだ!』と思っているが)もあるかもしれない。この暑さで、毎朝の散歩やランニングも抑え気味だから、一万歩に届かない。熱中症にかかるのはイヤだから、無理をすることもない。
小学生の頃は、プールに入ると気持ちがよく、夏が大好きだった。と言っても、好きになったのは5年生の夏からで、それまでは泳げなかったから夏は嫌い。赤帽の海の学習はまったくイヤで出席したくなかった。水の恐怖がなくなると、今度は楽しみに変わり、水泳部に入部して6年生では競技会にも選手で出してもらえた。
つまりは恐がりなんだ。鉄棒は今でも出来ない。スポーツは何でも好きだが、身体が硬く、飛び箱もマットもダメだったから体操は苦手だった。オリンピックを見ていると、アクロバットのようで、競技がますます難しくなっているのがわかる。100m走も10秒を切るのが夢だった時代もあった。どこまでタイムが縮まるか興味はある。現代は着用するウェアによってもタイムが変わる?身体の隅々まで研究しつくして開発されている。
ロンドンオリンピックで今回日本がメダルを多く取れているのは、その研究成果もあるのだろうか?

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第650号 2012年8月6日「夏休み」

小・中学生の夏休みが始まったと思ったら、もう8月。
私が子どもの頃は、毎日嬉しくて鶴舞公園を遊びまわったり、一日中プールで遊んだりしたものだ。昔は、我々の自己管理態勢の下で、自由に施設を利用させてくれた。もちろん監督の先生も時々は見回りに来てはいたが、ほとんど我々の自由だった。そして、一度も事故もなく過ごしてきた。
今は、連れ去りがあったり、難しい管理規制で縛られたりと、何もさせてもらえない。何か事故でもあると、すぐ先生やら指導者の責任追及になる。育てた親やその背後にある環境はどうだったのか?我々親たちは、悪いことをしている子どもを他人の子どもであっても叱ることをしているか?我が子であっても叱ることのできない親ばかりで、何かあると、他人に『叱ってやってください』とお願いする親、自分の子の味方をし、子どもが悪いことをしても反省しない、謝らない親の多いこと。と書く私もその中の一人だが・・・。夏休みになると、夜中に繁華街で遊びまわったり、非行に走る子どもが多くなるそうだ。そんな子達を見守る親はどんな生活をしているのか?
盆踊りや花火のシーズンが始まった。きちっとした家庭には非行に走る子どもなんて生まれない。悪くするのは親や環境だ。

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第649号 2012年8月3日「暑中お見舞い申し上げます No.2」

暑中見舞いのハガキが少なくなった。これだけ暑いと、書く気にもなれないのが本音。でも、いただく側の気持ちからすると、差出人を思い出して懐かしく思ったりする。
手紙やハガキは残るもの。10年前のハガキ、30年前のハガキ、そして50年前のハガキが出てくると嬉しくなる。だから、私は通り一遍の文章は書かない。あとから見ても『おもしろい!』と思うような暑中見舞いがほしいと思うからだ。
以前、知人から『お前さん、病気だっただろう』と言われたことがある。本当に驚いた。実は入院中で、そこで書いていたからだ。何年も私のハガキを見ていると、私の動向までわかるのかな?しかし、それほどまでに自分を心配してくれていることに感謝した。
私の正月や夏の挨拶のハガキは、その日の気分で『洒落(しゃれ))だよ!』と思いながら書き続けたい。『高齢につき、正月のご挨拶はこれで終わりにしたいと思います』というハガキをいただいた。寂しい気持ちと共に、もっともっと長生きしてほしいと願った。だが、4月初めに亡くなられた。その方は忙しい方だったが、何百通?いや、千通以上かな?、必ず直筆で一言添えられていた。自分の一生がわかるのかとハガキを見直し感心した。
挨拶にも色々な方法があります。時には手紙やハガキで様子を知らせるのもいいかな。
今年も暑い夏が続きます。水分をたくさん補給して、熱中症には気をつけてください。

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