きもの選びは友達探し、あなたの笑顔に癒される by かずまさ

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第671号 2012年10月24日「昔の話-私のこと No.27」

以前入会していた振袖専門店グループに、再入会させてもらえないかとお願いしてみた--断られた。退会した時の辞め方があまりにも勝手すぎたからだ。仕方がない。番頭たちも退社していたので、少しずつ勉強し、私の好きなようにやっていくしかなかった。
メインの問屋も京都のT社からI社に替わり、DMを研究したが売れない。原因は新人ばかりだからだと責任転嫁し続けた。毎年赤字が続いた。そんな状態なのに、まだ専門店協会の理事長等の公職は続けた。途中で簡単に退くことが出来なかったからなのだが、公の仕事よりも正直屋の仕事にもっと目を向けるべき時だった。
当時、猪子石店では売れてもいないのに、夜のカラオケや酒の勉強会だけは盛んだった。遊びと仕事の混同が甚だしかった。従業員にアメを与え続けるだけで、成果はまったく上がらなかった。

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第670号 2012年10月22日「着物」

ついこの間まで『ゆかた』を着ていました。10月初めになると、単衣の着物を4組出してもらい3~4回ずつ着用しました。急に涼しくなり、合せの長襦袢にウール、その上は半纏(はんてん)という姿。夏が長かったせいか冬が早い?もうすぐ10月も終わり。あと2ヶ月でお正月。早いものですね。
今ごろは振袖の新作が出来上がってくる頃で、WEBの写真差し替えや更新もあり、係の人は勉強することばかり。26年成人のお客様も多く来店されるようになりました。袴レンタルで訪問されるお客様も増えてきて、本格的に着物シーズンに入ったと感じます。
20年前は、10月は『ゑびす講』の展示会や、また、組合の展示会にも参加しており、毎日その案内状配りで忙しかった。当時は洗い張りをして仕立て直しをされる方も多く、お正月の仕度でこれからの時期は仕立屋さんも大忙しの時でした。毎日着用される『着物愛好家』も少しずつ減り、習い事の時だけ着用するという方が多くなりました。やはり、毎日の生活には袖のある和服は不便なのでしょう。慣れればそんなに気にならないものなんですけどね。
機会あるごとに着物を楽しんでくださる方がまだまだたくさんいることに感謝し、私たち業界の者も、着る機会を提供できるようもっと考えなくてはいけないと思います。

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第669号 2012年10月16日「個人情報保護法 No.6」

何度も書いていますが、平成18年11月1日より役所での名簿の閲覧が出来なくなりました。現在、当店が名簿業者から購入してDM発送用に利用している名簿は、それ以前のもので、つまり、6年前の名簿ということになります。
先日、26年成人の第1回目のDMを郵送したところ、その中の方からカタログ発送停止依頼の電話があった。当人はお亡くなりになられているということだった。幼い頃に、病か何かで亡くなられたのかもしれない。もし、娘さんが生きていたら再来年成人式を迎えるのだ。
名簿は、多数の名簿業者によって調べられ、たくさんの店へ売られている。当店だけでなく、様々な業種の店から届くことになる。『もし、生きていたら・・・』と、そのたびにその子を思い出し、涙を浮かべるのだろうか?これは厳しい。しかし、名簿をきれいに消すまでは何度も続く。辛い。
健やかに成長する子どもたちの中で、そうでなく短い人生で終えた子どももいる。立派に成人した姿を見たかったのに、それができない親御さんがいるのだ。知らぬこととはいえ、名簿を入手しDMを郵送した者を代表してお詫び申し上げます。

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第668号 2012年10月12日「アリとキリギリス No.2」

女房に言わせると、私は元来『キリギリス』だそうで、先日は『猪』とも言われた。猪突猛進で、走り出すと周囲がまったく見えなくなる・・・思い込みが激しすぎるのだそうだ。当たっているから仕方がない。だから、よく相手に利用されて悔しい思いをする。従業員もそんな私の気性を知っていて、時々注意される。昔なら、『そんなことないわ!』ではねつけていたが、自分の子どもくらいの女性に言われるのだから、子どものようにダダをこねるわけにもいかず、『そうかなぁー?』とつい本音を漏らす。心の中では、『でも、あいつが悪いんだよ!』と悔しがっているのだが。
もういい加減に『キリギリス』を卒業し、真面目に物事をよく考え、仕事に向かわなくてはいけない。見栄を張る年齢でもなかろうに、もっとよく店を直視して考えないといけない。
振袖中心の店とは、若い人たちばかりを相手にする店なのだから、広告宣伝もその年代の人に合わせなければいけない。仕事上のお付き合いも検討し、若い人が参加できるものに加入しなくてはいけない。
このたび、20歳の女性が入社することになった。20歳・22歳と若い女性が2人になり、振袖販売も趣向を変えた取り組みを始めたいと現在検討中だ。私には出来ないことなので、ホームページがどう変わるか楽しみ。
結局、私は『アリさん』のようには働けなかったけれど、従業員の皆が楽しく仕事が出来るような店になればいいなぁ。

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第667号 2012年10月9日「アリとキリギリス」

『アリとキリギリス』の童話は誰もが知っている。アリさんのように日々努力しなさいという教えだ。
私も62歳になった。友人の中には、リタイアして年金生活者に入った人も出始め、海外旅行をしたり、ゴルフやテニス三昧の生活をしている人もある。『うらやましいねぇ~』と言ったら、母さんが『普通は60歳か65歳の定年まで一生懸命仕事をして、お疲れ様の意味を込めて、そのご褒美として旅行に行ったりするのよ。あなたは27歳から50歳まで、飲む・打つ・買うのうち、打つだけはしなかったけど、あとは好き放題だったがねぇ。』と言う。『何を言っとる。俺だって一生懸命仕事をしとったがやー。』と返したら、『親の七光りと番頭のお客様のお世話のことね。ちょっとは新規回りもしてたかしら?』などと言う。母さんは自分を常に見とったからなぁ。『だから、あなたはこれからアリのように働くのよ!他人様を羨(うらや)む時間はありません。』と釘を刺す。
参ったなぁー。目も悪いし、飛び出すわけにもいかんがや。まったく昔は従順な(?)嫁だったけど、今や恐ろしい妻か。あぁ、恐い恐い。酒でも飲んで早よ寝よ。

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第666号 2012年10月5日「昔の話-私のこと No.26」

平成17年秋になり、身内以外は新人ばかりになった。振袖・七五三・ゆかたをメインに新人教育をした。それまでに番頭たちが蓄えてくれていた資産を使い、後任の人材育成をすることが第一の仕事だった。だが、人を育てることは難しい。店のことを考えて仕事をする人を育てるには時間がかかる。お客様が来店されても、知識がなく説明ができない。結果、帰られてしまう。店の信用はガタ落ちだった。販売する商品を振袖だけにしても来客は難しい。DMもホームページも人も、何もかもがダメだった。顧客からは愛想をつかされ、友の会も退会される人が多く、それでも『いつかは・・・』と信じていた。店を守る難しさをイヤというほど味わった。自然と愚痴ばかりになり、目はつり上がるばかりだった。それでも、中年女性のパートさんたちを信じるしかなかった。私自身がもっと勉強すべきだった。
もうその頃、テレアポでの販売は主流になっていた。ホームページも進歩が早く、チャンスはいくつもあった。きもの業界での全国での動向チェックが甘すぎた。お客様の喜ぶ顔を思い浮かべながら商いをしてさえいれば正直屋の未来があると信じた。信じることも大切だが、もっと一年生を褒め、自発的に仕事をするように教育するだけで良かった。トップの私が一番市場把握が出来ていなかった。

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第665号 2012年10月2日「名古屋友禅 No.4」

『歴史、それは絶え間なく流れる大きな河。その中のキラキラした一滴を秘話と呼びます。』で始まる『歴史秘話ヒストリア』。NHK総合テレビ、水曜日午後10時からの番組だ。
このたび、徳川宗春をテーマにした10月17日放送予定の回で、名古屋友禅が紹介されることになりました。
その時代の将軍、吉宗の不況対策としての倹約令に対し、宗春は町を活性化させることで経済は良くなると考え、色々な政策を打ち出したそうです。結果、全国各地から商人・職人が集まり、様々な文化が生まれ、『ものづくり名古屋』の礎が築かれたと言われています。
時代背景から名古屋友禅は、京友禅や加賀友禅のように豪華で派手で煌(きら)びやかな品ではなく地味なところが特徴で、そんなことから、他の友禅のように我々きもの屋でも取り扱い量が少ないというのが現状でしょう。
今回の放送を見て、その時代を生きた人物や名古屋友禅をもう一度勉強したいと思います。
皆さんもぜひご覧ください。

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第664号 2012年9月28日「インターネット」

664未来のことがわかったら、恐いし困ることもあると思うが、先を見越そうと研究者は分析し解読する。膨大な資料集めから始めて、その工程でわかることや発見することもあるが、彼ら曰く、『大体の答えは、初めからわかっていることのほうが多い。』のだそうだ。頭の良い人は、考えついた時にもう終わっているということなのだろうか。
現在は、ほとんどの人が当たり前に利用している携帯やスマホでも、20年前は誰も利用していなかった。でも、将来こんな品が出てくるということをわかっていた人はたくさんいただろう。
フリーダイヤルを当店で利用し始めた頃、従業員たちは皆、『掛かってきた電話の料金をなぜ店側が支払わなくてはいけないのか』と言った。だが、お客様からすればサービスの一環であって、現在なら店側が支払うのは当たり前のことと理解する。
時代背景によって、その『当たり前』が変化しているものがたくさんある。何といっても、私自身が一番変化している。食べ物の好き嫌いは年齢によってずい分変わった。ワガママなのは相変わらずだが、経験を重ねるごとに考え方が変わった。
インターネットも人と同様、今後ますます進化していくのだろう。すでに使いこなせない年齢になってきている私。ちょっと待っててくれないかなぁー。母さんが一言・・・『どうせ覚われへんわ!』

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第663号 2012年9月25日「母」

秋ですね。朝の散歩時は、とても気持ち良く感じられます。
9月生まれの私は、昔、お袋に『涼しくなってから生まれたから親孝行だね』と言ったことがある。すると、『お腹に子どもがいると暑いんだわ。お前さんは、夏の暑い間お腹にいたから大変だったよ。』と反対に叱られた(?)何も知らなかったんだな、とその時思った。
そんな私も62歳を迎えた。兄弟が多かったのと、家業が忙しかったのとであまりかまってもらえず、親との縁が薄いと思いながら成長した。我が子たちもまったく同じだったか?『いや、そんなことがないよう、夏休みも冬休みも旅行に連れて行ったりしたじゃないか。』と思いながら、近ごろ、母親のことをふと考える。
自分はお祖母ちゃん子になり、毎日の食事の世話も進路のことも母には何も相談してこなかった。振り返ってみると少し寂しい。今ごろ気づいても仕方のないことなのだが、亡くなってから気づくことの方が多いのかもしれない。
『あのね、あのね、今日○○君がね、○○の話を・・・』『お袋、俺この高校へ行きたいんだが・・・』『この人と結婚したいんだが・・・』いくらでも甘えられたのに、いくらでも相談し、意見が聞けたのに、そんな時間を持たなかった。一度だけ過去の会いたい人に会わせてあげる、などという機会があったら、お袋にあれこれ相談してみたい。お袋は優しいから、きっと『お前の好きなようにしたらいい』と言うんだろうなぁ。

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第662号 2012年9月21日「昔の話-私のこと No.25」

平成16年9月に、東京の雑誌社・PR現代から、情報誌『sakura』の名古屋地区の枠が空いたからやらないかとの誘いがあり、以前から利用したかった雑誌だったのですぐに始めた。
PR現代から、京都で450年営んでいる京友禅の老舗メーカー『千總』を紹介していただいた。高額品を売るには商品知識やテクニックが必要だが、いくら良い取引先から良い商品が入荷してきても、当時の一年生ではレベルが低すぎた。従業員研修のために京都や金沢にも行った。私が焦るだけで、毎日少しずつの成長しか望めなかった。
DMも私が作ったものでは、研究され尽くした振袖店のDMには勝てっこない。振袖専門店は、毎週のように立派なDMを送っていた。
平成17年に入り、日比野店の番頭が退社した。猪子石店店長夫婦の退社より2年遅れの67歳での退社だった。退職金の関係もあり、一度に退社にならなくて有り難く思った。しかし、その後、後任店長がなく、仕方なく閉店し、跡地はパーキングにした。平成17年には親父が理事長をしていた名古屋呉服商協同組合の理事になった。

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