きもの選びは友達探し、あなたの笑顔に癒される by かずまさ

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第962号 2021年5月31日「GPS」

962GPS機能の付いたスマホを高齢者に持たせれば、迷子になっても心配ない。位置情報で、本人が現在どこにいるのかがわかるという。認知症の患者には、とても便利な機能だ。以前、このようなスマホを営業マンに持たせて、営業の管理をしているという話を聞いたことがある。その営業マンは、パチンコをしていたそうだ。営業マンも管理者と同じく図太い。しかし、機械に管理されてはたまらない。
ITが発達し、スマホにいろいろな機能が付き、それをうまく利用すれば売上につながるということで、いろいろな利用の仕方を提案してくれる。GPSを利用した広告宣伝だ。例えば、ある地点内に入ると、18歳から24歳の女性のスマホに自動的に広告が入ってくる。興味があればクリックし、その内容を見ることができるというものだ。1クリック○○円、どの地点に広告を出したら効果的か?後日データもチェックできる。クリック制だから、設定しておいた金額に達すると、それで終了。性別も指定でき、この場合、男性のスマホに広告は入らない。
別のケースでは、ある地点で、欲しい商品を購入できる近くの店を教えてほしいと設定すれば、ITが店を紹介してくれる。利用の仕方は人が考えるのだが、使い方で便利にも不便にもなる。
ITの進化はスゴい。ただ、使う側によって良くも悪くもなる恐ろしい時代となるか?わからない。

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第961号 2021年4月27日「IT」

ITの進歩は素晴らしい。特にこの1年、コロナの影響でインターネットを利用した買物が急速に進んだ。HPを見て注文すれば、当日か翌日には届くし、時間指定までできる。衣・食・住にわたり、店舗に足を運ばなくても、欲しいものが手に入る時代になった。
スマホが1台あれば、テレビは見られるし、座ったままで部屋の環境チェックまでできる。冬でも、部屋の設定温度を快適にしておけば、季節ごとの衣類を持つ必要がなくなる。これは室内に限った話だが、そんな大きな空間を作れば、衣の生活環境はずい分変わる。毛皮のロングコートが現在必要なくなったように、生活環境は、人の手によって、どんどん変化してきている。
現時点で、ITは、欲しい商品を画面上で見ることはできるが、現物を手に取って、その品の硬さや柔らかさ、香りなどを確認することはできない。食品の美味しそうな香り、オーデコロンの甘い香り、汗の臭い、熱い、冷たいなど、人が日々の生活の中で出合うあらゆる感覚が、ITの進化で体感できなくなってしまったら、この世はどうなるのだろう?
機械なら、同じものをいくつでも作ることができる。だが、職人が作ったものは、より近い作品ができたとしても、まったく同じものは作れない。機械で作ったものに飽きた人は、いつかまた手作りの品を求めるようになるだろう。その時には職人はいない。過去の作品だけが残っていることになる。

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第960号 2021年3月29日「コロナ」

960コロナの感染拡大も2年目に入り、今年の夏も『ゆかた』が売れそうもない。幸い、名古屋では、成人式は何とか開催され、袴の予約も、卒業式は無くなったが記念撮影はしておきたいという人たちで、昨年と同様、今年もキャンセルはほとんど無かった。しかし、初めから借りないというお客様もあり、通常の年のような華やかさはなかった。卒業旅行や打ち上げパーティーも、ごく少人数での集まりとなった。人生で一度しかない行事が行われないのは悲しいことだ。
『きもの業界』も、平成10年くらいから式服しか売れなくなり、都市部では、その式服も、買うのではなくレンタルやママ振に変わり、ますます業界自体が縮小していった。『ゆかた』などは、作ったものの、着る人がいないから売れないということで倉庫に眠ったまま。市場に出すために、商品のビニールカバーやバーコード等の付け替え作業を行う時期なのに、3月中旬を過ぎてもそれをやらないメーカーや問屋もあると聞く。日々、感染状況が変わっていく中、様子を見ているのか?
テレビ等の報道を見ると、時短協力金の6万円で、営業するよりも儲かる店がある一方で、それでは全く足りず窮地に追い込まれている店があるという。この不公平感といい、この状況は、一体いつまで続くのだろう。早く元の生活に戻ってほしいと願うばかりだ。

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第959号 2021年2月23日「着物」

私が中学生の頃だから、昭和40年頃のことだが、当時の正直屋は総合衣料品店で、扱う商品は洋品、肌着、オーダー洋品、学生服、毛糸、布団、ウールや綿の着物、という具合に衣料の『なんでも屋』だった。高級品である本場大島紬や振袖などは、在庫として一反も無かった。後に知ったことだが、絹製品は、取り扱う問屋や販売する小売店が決まっていて、我が店は、絹物を扱うことはあっても、洗い張りや安価な銘仙(めいせん)の着物くらいで、紬、小紋、附下、留袖、訪問着等の品は、仕入さえもできなかった。
高度成長期に入り、一般庶民も着用できるようになると、やっと少しずつ仕入ができ、在庫を持てるようになった。そんな頃からだろうか?小さな小売店が集まり、組合を作って、展示会販売を行うようになった。丁稚奉公を終えて店に戻ってきた昭和50年頃には、店が3店舗となり、番頭夫婦も3組となり、外商と展示会販売で着物がよく売れた。当時は、着物を着用する人も多かったし、生活に余裕ができてきたからだろう。
電気製品も一通り持てるようになると、旅行や美容、宝石、衣装にもお金が回り、それ以前とは違った衣食住の豊かな日本になった。そんな時代に、着物好きは、それまで持てなかった衣装をたくさん購入してくれた。着付教室に招待旅行、観劇招待など、着物屋もいろいろと工夫して着物着用の機会を作った。そして、大半の日本人は、そうすることができる時代を過ごしてきた。
豊かになった日本人の関心は、それまでの『物』から『事』に変化した。ある物をどう使うか、どう楽しむか。着物なら、それを着て京都に出掛け、寺院巡りをしたり、庭園を散策したり、染屋や悉皆屋を見学したり、次は、自分でデザインしてみようと染物教室に通ったり。個々の楽しみ方は様々だが、そんな提案ができるお店が生き残っていく店なのだろうか?着物文化が消えることは無いだろうが、工夫が足りないのは事実。悲しいことです。

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第958号 2021年1月27日「2021年」

2021年が始まった。正月休みの間、年賀状の整理をした。毎年、出す枚数を減らしてきたが、印刷でも出さなくてはいけない先、いろいろとお世話になっている先には続けて出している。すると、年に2回、年賀状と暑中見舞いのやり取りだけの方々も多くなり、気づけば何十年もお会いしていない。それはそれでいいのだが、思い立って、同業者の方々や同級生あわせて10人ほどに電話をしてみた。若い人たちならメールでやり取りするのだろうが、私にはそれができない。それに、直接話をしたほうが、声の調子で相手の様子がわかる。10年以上会っていない人に突然電話をするのだから、当然、相手もビックリされたが、それぞれ、昔の話や、子ども、孫、両親、仕事のことなどで盛り上がった。
最近はコロナ禍で景気の悪い話ばかりだが、昔の話は、その当時はイヤな思いをしたことであったとしても、今は懐かしい思い出として話せる。年齢的には、定年を過ぎた人たちばかり。良いことも悪いこともあった。誰もが皆、それを乗り越えてきたからこそ、今はそれなりにのんびりと正月を過ごせているのだろう。
年初めからコロナのニュースで心配な日々が始まった。名古屋では、何とか予定通り成人式を開催することが出来たが、延期になった地域もある。そして次は卒業式。一生の記念日となるこれら行事を無事迎えられ、皆が安心して暮らせる年となりますよう願いたい。

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第957号 2021年1月3日「新年のご挨拶」

957あけましておめでとうございます
・・・
新型コロナウイルス感染症が
なかなか収まりません
・・・
皆で十分な予防対策をして
健康で幸せな年にしましょう!
・・・
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます
・・・
令和3年 正月 舩橋一正

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第956号 2020年12月21日「鬼が笑う」

956来年の話をすると鬼が笑うと言うが、今年は一年中、世界中の鬼が大笑いした年だった。新型コロナウイルス感染症対策が、どの国も後手に回り、感染者も死亡者も大量に出た。日本でも、今までに経験したことのない年末年始になりそうだ。観客のいない紅白歌合戦…。ワクチンで死亡者でも出れば、もう成長戦略もない。
歴史を振り返ってみれば、今までにも同じような出来事は何度もあったのだが、その教訓を忘れてしまっているのだ。人間の生活風習は三代続いていないと無くなるそうだが、歴史の中での体験も、三代も続けて無いと忘れてしまうものなのか?予防はしているものの、それでもこれまでに経験したことのない出来事として扱われ報道される。もちろん、いつまでも覚えていたら、辛くて生きていられないが、伊勢湾台風以来、大きな災害に遭っていない我が地域では、生きている間にこんな出来事に遭遇するとは思いもよらなかった。目に見えない鬼たちが、変化を求めているのかもしれない。
正月明けには、成人式が毎年開催される。来年は、開催されない地区や延期される地区もある。18才成人問題も、日本中でいろいろと詮議されているが、足並みは揃っていない。どちらにしろ、世の中の流れに寄り添って対応するしかない。

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第955号 2020年11月27日「コロナ感染禍」

955令和2年はコロナ禍で1年が終わりそうだ。世界中で感染が広がり、日本時間の昨日、6,000万人を超え、まだ止まりそうもない。人間は進化したといっても、11か月を過ぎても、まだ実用可能なワクチンができない。自然の驚異を『これでもかっ!』というほど見せつけられている。
知り合いに感染症にかかった人がいないから、まだ呑気(のんき)なことを言っていられる。もしいたら、商いどころではない。売上が下がっても、自分の店だけではないから、焦りはするものの、気持ちと動きはバラバラ。やることがないからHPのチェックばかりしていたら、ただでさえ悪い目が、ますます悪くなり、夕方になると印刷物のチェックすらできなくなってしまった。病院で視力検査をしても、視力は前回と変わっていないと医師に言われた。でも見えないのだ。年のせいもあるとは思うが、年末のカレンダー配りが心配だ。
大きなチェーン店の四半期決算を見ても、業績の悪い店ばかり。この業界で、前期より数字が良い店はあるのか?ただでさえ悪く、リタイアしていくメーカー、問屋、小売店が多い。やめることができる店は、まだ余裕があるからだが、やめられない店もある。振袖中心に商いをしている我が店も、もう2年後の予約を受け付けているわけだから、そのお客様たちのためにも、良い内容で成人式を迎えたい。
商いは続けなくてはいけない。どんなに世の中が変化しても、その波に乗って対応していかなくてはならない。苦しくても止まってはいけない。生き残れる方策を考え、手を打って、前に進むしかない。あと1ヶ月で今年も終わる。コロナ感染は終わりそうもない。

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第954号 2020年10月25日「情操」

『情操』という言葉の意味が解らず、調べてもらった。『情操教育』という言葉は聞いたことがある。意味は、心を豊かにする教育ということらしい。美しいもの、優れたものに接して感動する、情感豊かな心ということだ。簡単に言えば、『きれいだ』『かわいい』『美しい』『カッコいい』と思う心を養うこと、と考えればよさそうだ。
我々の仕事は、そういうものに囲まれた仕事だ。センスや好みは人それぞれ。我々には、その人のセンスや好みを見抜く力が必要となり、その力がある人が優れたベテラン販売員となる。主張の強い方に対しては、その方の言うとおりに合わせていけばよいが、そうではない人に対しては、取りあえず、従業員の判断で商品を提案することになる。色、柄、予算、サイズ等を聞きながら提案していく。最近は、あまりすることはないが、私が丁稚(でっち)奉公していた時代は、着物の柄の説明ができるように指導され、例えば縁起担(かつ)ぎとなるような柄であれば、その説明をしたものだ。すると、『和』に興味のある方は、どんどん着物にのめり込んでいき、着付教室に通ったり、茶華道に興味を持ったり、歌舞伎を見に行ったり、と着物を着るために習い事を始める方もあった。着物が、ただ着用するためだけの品であれば、洋服のように、特にTPOを考えて着ることはない。現在、着物を着ておられる人たちは、普通に洋服を着る時と同じような『常着』として着ている人は少ない。目的を持って着物を着用する人がほとんどだ。冠婚葬祭で着られる場合は、着付のほかにヘア・メイクも常とは違う『出で立ち』にされる。
時代の新化によって装う物が変化し、環境の変化で、人が自然に直接接することが出来なくなり、大きなドームのような空間で生きなければならなくなった時、衣装はまったく必要がなくなる時が来るかもしれない。素っ裸に近い生き物の世界に戻るかもしれない。もちろん、そんな空間は、何もかもがコントロールされ、衣だけでなく食も住もすべてが今とは違う世界。いつかそんな時が来るだろうか?

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第953号 2020年8月3日「暑中お見舞い」

953暑中お見舞い申し上げます
今夏の仕事は 椅子に座っていること
ジーっと 修行僧のよう 静かです
お陰で HPの間違いを ずいぶん見つけました
暑い日々 お体をおいたわりください
令和2年 盛夏
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フリーダイヤル0120-39-0529までご連絡くだされば
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ご迷惑をおかけしますが、どうぞよろしくお願い申し上げます

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