第656号 2012年8月31日「昔の話-私のこと No.22」

656うるさく言う人がいなくなり、自分の思うように仕事が出来るようになると思った。確かに気楽にはなったが、まだ親父ほど信用のない私は、店に対する危機感も無く、他人は私がどう動くかを眺めていた。
生存中は、『父がそう言った』 『父に言われた』で済んでいた。いなくなってからはそんなことは言えなくなった。問屋さんや同業者との交渉事、銀行とのお付き合い、親父がしていた日々の仕事の難しさを、もっと以前から知っておくべきだった。
その頃、友の会の整理で忙しく、店の経営のことなどは考えていなかった。
オーナーは、長いスタンスで物事や世の中の動向を観察・思案し決断する立場の人間なのだということがわからない。小突かれて学ぶしかないのだ。
番頭もいたし、厳しい中でも売上は出来ていた。
親父は私の性格を考え、何も指導せずに亡くなったのか?いや、指導しないほうが良いと判断したのか?わからない。

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