第691号 2013年1月12日「バスガイド」
昔といっても20年くらい前、昭和の時代から平成に移った頃のバス旅行には、必ずバスガイドさんがいた。『右に見えますのは〇〇で・・・』、景色の紹介が早すぎたり、通り過ぎてからしたりするガイドさんもあったが、楽しんで聞いていた。時には歌が入ったり、その時々の話題が入ったりする楽しいガイドさんもいた。
格安旅行の時代になり、ガイドさんのいないツアーが多くなった。お茶やお手ふきのサービスもなくなった。
ガイドを聞くといっても、その時に『ふぅ~ん』と感心するくらい。ガイドさんもそれが仕事であって、勉強して覚えたことを話しているだけのこと。山の高さが何メートルだとか日本一の〇〇とか、教えてもらったことを覚えて帰る人もいない。それにしても、通り過ぎる風景を見ながら解説も交えて話すのだから大変な仕事だ。
さて、今年の正月に、静岡の富士五景めぐり(?)のツアーに行って来た。もちろんガイドさんはいない。代わりに添乗員さんが乗車して、乗客の人数チェックと少しのガイドをしてくれる。やはり、名所の多いところだけに、ガイドさんがいるといい。それも話の上手なガイドさんで・・・。天気も良く景色も良かった。寒くてカラッとした日だったから、特に富士山がきれいに見えた。
第690号 2013年1月8日「お正月」
昔の正直屋の正月風景は、朝11時頃に始まった。
着物を着用し、まず内輪だけで挨拶をする。家長が新年の挨拶をし、お屠蘇(とそ)を少々飲みながら雑煮をいただく。年賀状を見ていると、昼頃から番頭夫婦や従業員、兄弟たちが挨拶に来る。すき焼きの用意をしながらお酒が振舞われ、おせち料理をつまむ。親父は、番頭たちと商いの話をしたりして、次々と相手が替わっていく。昔勤めておられた先輩の番頭さんたちとは、組合の話や業界の話、店の様子の話で盛り上がる。私たち一家は、暇な時間を見つけて、子どもたちと近くの氏神様へお参りに行く。帰ってくると、子どもたちにはお年玉。一日中お客様が出入りし、賑やかだった。
平成9年に親父が他界し、平成11年に母が亡くなってからでも、平成16年までは続けていた。子どもたちも成長し、番頭たちも定年で退社し、現在は家族だけの静かな正月になった。
人が集うことは大変良いことだ。時代も変化するし、家庭内の様子も変化する。また出来るようになったら再開すればいい。
第689号 2013年1月4日「ご挨拶」
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あけましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いいたします
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今年は巳年。へびは何か気持ち悪いと思われがちですが、『長い生き物』として、昔から長生きの縁起の良い生き物と考えられてきました。迎える嫁に帯を贈る風習も、そんな意味を持っているのでしょう。長生きは永遠の研究課題。いつか、ガンも脳卒中も治せる医療の進歩があるかもしれません。つい半世紀前は、平均寿命が50歳だったことを考えると、できないことではないでしょう。『長生きしたら醜くなるから・・・』と言われる人がありますが、姿・形ではなく、やはり心が大切ですよね。良い笑顔の老人になりましょう。愛のある家庭には、健やかな人が育ちます。
今年も良い年になりますようにぃ~(笑顔)。
第688号 2012年12月28日「平成25年を迎えるにあたり」
クリスマスソングが流れる頃になると、『あぁ、今年ももう終わり
だなぁー!』と感じる。
今年の年末は、デパートもパーキングでの渋滞もなく、人出が
少ないように感じた。
先日の選挙で自民党が勝利したが、来年こそ良い年になるよう
願いたい。
年明けは、成人式で始まる。
毎年1月は、振袖の商いが一番多い月なので、その前の12月と
いうのは、最後の商品選品に忙しい月です。
『千總』の新作発表は1月1日ですが、当店は12月30日(日)から
1月3日(木)まで正月休みですので、1月4日にホームページにて
公開する予定です。
来年も、古典柄は注目で、人気の商品が多数発表されますから、
ぜひご覧ください。
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12月30日(日)は、本店・和合店は
午後4時ごろまで営業の予定です。
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第687号 2012年12月26日「時流」
時流という波があり、その波にうまく乗ることができれば店は繁盛する。その時流を掴むことが難しい。オーナーの手腕が問われる。
親父は、難しい時代の流れの中で、良い人材に恵まれ、店を4店舗にまでした。私とはまったく意見も合わず、父が死ぬまで衝突ばかりしていた。従業員が良かったのだと生前は話していたが、現在の自分を顧みた時、親父のしてきたことが、その時代に合っていたから伸びたのだという気づきもある。立地条件の悪さをカバーするためにやり始めた『友の会』も、従業員の少なくなった現在では、集金業務もままならず、アフターフォローのメリットを活かしきれないでいる。ならば従業員を増やせばといっても、お客様にきちんと対応できる従業員を育てるのは難しい。車を1台与えて外販させるとなるともっと難しい。親父の時代は、車が10台以上もあった。どこの着物屋さんでも状況は同じだと思う。
どのように商いをするのか決断するのがオーナーの仕事だ。少しずつ振袖展開を強めた。インターネットに力を入れた。個店による栄での展示会を止めた。組合事業から撤退した。その都度、店の状況を考え、感じ取り、方向を決めた。難しい決断ばかりだった。これからも変化は続くだろう。現状をよく把握し、努力するしかない。何とか今の時流に乗りたい。
第686号 2012年12月22日「神様の言う通り No.2」
『あの時 あんな事 言わなければよかったなぁ』と思う時、ありませんか?つい、言いすぎてしまった。腹を立てていて、その勢いで言ってはいけないことを言ってしまった・・・自分では、その一言に気づいていない。我が店の女性から、時々、そんな注意を受けるのです。
『あの時 なぜ あんな行動を取ったのだろう?』毎日の仕事の中で、正しいと思ってした行いが、間違っていたりすることありませんか?この仕事に就いて43年だから、そんな失敗はないだろうという自分への甘さだ。お客様からの苦情で気づいた。
『今は 自分の生き方を顧(かえり)みる時期なんだ』と考えた。まだ、生きるためのチャレンジが続くのだから、今一度、よ~く悩みなさい。
神様達が日々教えてくれる。『これは こうやって作るんだよ』『この仕事は こうやってこなせばいい』
先生が、先輩が、仲間が、女房が、両親が、そして今は、年下の若い神様達が、『一正君、そんなことをしてはいけません!』と耳元で、夢の中で、そっとささやく。
第685号 2012年12月18日「変わり目 No.2」
ずっとお祖母ちゃん子で育った。何でも祖母に相談してきた。
大学卒業後の丁稚(でっち)奉公から帰ってきて、正直屋の手伝いを始めた。当時、祖母は仕立物の係をしていた。簡単に言うと、仕立物を仕立屋さんに渡し、仕上がってきたら、それをまた検品し、お客様に渡すまでが仕事だ。責任ある重要な仕事だ。社長も、それまでの番頭も、仕立物のことはすべて祖母任せだったし、お客様からのクレームへの対応や特急品のチェックなど、裏方である悉皆(しっかい)等に関することはすべて祖母がこなしていた。
私が26歳を超えた頃、本店の店長を任された。ある時、着物好きなお客様から仕立のクレームがあった。それを祖母に話したところ、『これなら十分いいから、これで納めればいい!』と言われた。私は、『今日、納品した時に苦情を言われたんだ。』と反論した。店長の役目として、チェック係がチェックできないのなら仕事にならないと考え、祖母には係を降りてもらった。初めての祖母への反抗だった。次の日からは、女房がその大変な仕事を引き継ぐことになった。祖母の仕事はなくなった。遅かれ早かれ、私にもそんなことを言われる時が来るだろう。
第684号 2012年12月14日「最後の板ハガキ」
昨年も書いたが、年末で一番イヤなのは訃報のハガキだ。今年も毎日のように届く。昔お世話になった先輩、同級生、仕事関係の方やお客様。自分も60歳を過ぎたから、よく可愛がってくださった方々は、相当な年齢の人もある。その中でも、特にご指導してくださった方などは、『絶対亡くなってはいけない人』と自分で決め付けているので、訃報のハガキをいただくと悲しいだけではなく、お元気な時にもっと話を伺っておけばよかったと後悔する。あれもこれもと思い出を辿りながら懐かしく思う。『なぜ?』と言っても戻ってくるわけでもない。順番だからと諦めるしかない。現実は厳しい。
毎年、年賀状や暑中見舞いは板ハガキを使用してきた。今年も、12月初めに仕上がり、届けていただいた。後日、お礼の電話を掛けたところ、前日に葬儀を済まされたと伺った。板ハガキといえば絵馬だが、仕事の関係で宗教の話をよく伺った。しかし、お礼も言えないまま亡くなってしまった。もう来年からは、板ハガキを出すことが出来なくなった。この板ハガキで、どれだけのお客様とめぐり会えたことか。合掌し、『安らかに』と願う。心から感謝しています。
第683号 2012年12月11日「名刺交換」
名刺交換は、初めてお会いする方へご挨拶として、当たり前のように日々行われている。目が悪くなってからも同じようにしていた。
ある会合で、たくさんの人と名刺交換をする機会があり、いつもと同じように挨拶したつもりが、相手から、『先ほど名刺交換しましたよね?』と言わてしまった。そんなことがあってからは、必ず目のことをお話ししてから名刺をお渡しするようにした。
別の会合で、女性の方と名刺交換をした時のこと。2~3日後、仕事の注文でその女性に電話をした。覚えていない様子。『いついつお会いし、そのときの件で〇〇の話を伺いたいのだが・・・』と言ったら、『電話番号を教えてください!』。名刺を捨ててしまっているのだ。結局、その方との仕事はスムーズに進まなかった。ルールがあるとは思わないが、自分を売り込む以上、相手の名刺を捨てるような行為はあってはならないと思うのだが・・・。
私の名刺ホルダーの中にも、顔がわからなかったり覚えがない名刺がたくさん入っている。一枚10数円の名刺。捨てられるくらいなら渡さないほうがいいが、その判断は難しいですね。
第682号 2012年12月7日「アリとキリギリス No.3」
キリギリスが、ある時、急に今までの生活を反省し、アリさんのように働き出したらどうなるだろうか?キリギリスのことだから、働くといっても自分の特技を活かした音楽の演奏活動だ。アリさんだって、時には音楽も聴きたいから、そんな時に美しいメロディーが流れてきたら、つい聞き惚れて・・・。
アリが、ある時、急に今までの生活に嫌気がさして仕事をサボタージュした。こんな楽なことはない。毎日、寝る間も惜しんで働き続けてきた。旅をしたことも、遊園地へ家族みんなで行って楽しんだりしたこともない。美味しいものも食べず、ただ、ひたすら働き続けてきた。もう少し生活を楽しんでもいいだろう・・・。
ある時、アリとキリギリスが友達になった。毎日、二人は今までの自分の生活を語り合った。『私の生き方はこんな風だった。』『君の生活も楽しそうだね。』
二人とも、お互いの生き方に感心しながら酒を酌み交わし、ずっと親友として励まし合って生きたとさ。