きもの選びは友達探し、あなたの笑顔に癒される by かずまさ

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第864号 2015年4月7日「洗い張り No.5」

昭和20年以前の女性の平均身長は140cm台でした。それを思うと、日本人の身長はずい分高くなりました。
なぜ、そうなったのか?昭和20年といえば終戦の年です。戦後、アメリカ軍の指導の下、生活が一変しました。食料がなく、食べるものを集めるのに苦労した時代でもあります。そんな中で、米とみそ汁の食事が、パンと牛乳に変わりました。
我々の年代の学校給食といえば、脱脂粉乳とパンです。脱脂粉乳は、とてもおいしいと言えるようなものではなく、鼻をつまんで飲んでいる同級生もいましたが、次第に慣れました。こんな食生活が、身長を高くしたのです。現在と比較すると、10cm以上も高くなりました。
背が高くなれば、身丈も裄(ゆき)の長さも違ってきます。反物の巾も、昔のものより広くしなくてはいけません。実際、この30~40年の間に、特に振袖は、幅広の品に変化しました。
昔は、子どもでも着物を着用する習慣がありました。正月にはウールアンサンブル、夏は浴衣。しかし、今は成人式まで着物を着たことのない日本人が増えました。
そういう方たちは、洋服感覚の裄の長さを要求されます。着物には普通50cmほどの袖がついています。茶道などをしたことのある方ならおわかりいただけると思うのですが、何かを取ろうとすると、その袖がジャマになります。慣れていない人だと、袖を汚してしまいます。
おばあさんの着物を洗い張りして作り直そうとしても、お嬢さんが望むようなサイズにすることはできません。いっぱいまで広げて作っても、それでも短いと言われるお客様があるのですが、そんな方には、着物を着て生活してみることをお勧めしたいです。短い方が便利だということを実感しますよ。昔は、そんなに広い巾の着物は必要なかったのです。

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第863号 2015年3月24日「個人情報保護法 No.10」

個人情報保護法が施行されてから10年近くになる。それについての話は、今までに何度も書いてきた。
名簿業者によって、所有している名簿の精度に多少バラツキはあるものの、古い情報の名簿がたくさん含まれていることは間違いない。転居した人等を削除していけば名簿の人数は減っていってもよさそうなものだが、平成29年成人の名簿は、逆に増えている。前年のものと比べて、3割も増えているのだ。業者同士の情報交換による結果なのか?
今年も、1回目のDM送付で3割以上の戻り(あて先不明によるもの)があるだろうと見込んで名簿を購入した。
先日、レンタルのお客様から、「なぜ、こんなに早くから用意が始まるのか?」と聞かれた。昨年について言えば、消費税アップの前に、と1年8ヶ月以上も前に成約されたお客様もあった。一方で、その成約された方と同じ年に成人式を迎える方たちに、未だにDMを送り続けている。おかしな状況です。
昨年の1月・2月は、例年通りご成約者が多かった。テレアポをした時の感触とは違い、これから本格的に振袖選びをされるお客様も、まだたくさんいらっしゃるのだと感じた。しかし、予想通り、5月からはいつもの年とは違って厳しい商いでした。当店が、28年成人の名簿を購入したのは昨年の6月。ほかの振袖店から言わせると遅かったのです。もちろん、消費税の影響もあったでしょうが。
今年に入り、二度と同じ失敗を繰り返すまい、と大手振袖店の動向を調査したところ、もう3月からカタログ発送を始めるという情報を得た。ということは、そのカタログに掲載されている振袖は2年以上も前のものになる。『それって本当に新作か?』という疑問が湧いてくる。
他店よりも先に先にと過熱した商いも、そろそろ改めていかないと、ダマし商法と同じになってしまう。しかし、遅れをとれば、当店の業績にもかかわってくる。困ったことです。
年々、広告の方法も、ITを駆使したりして激化している。人と人との関わりを大事にした本来の商いに戻さなくてはいけない時代に入ったのだと感じる。

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第862号 2015年3月16日「卒業 No.3」

小学生男児の卒業式用羽織袴は、昨年より問い合わせがあったものの、注文には至らず、今年も商品の仕入れを見送るつもりでいました。
ところが、2月の末になって、昔からのお客様から問い合わせをいただきました。慌ててメーカーに問い合わせたところ、何とかギリギリ着用日に間に合わせてくださるとの返事をいただいたので、注文を受けることにしました。
本来は、遅くとも1月末くらいまでには発注して、用意しておかなくてはいけない商品なのですが、最近は、インターネットでの注文や電話での問い合わせが大半を占め、相手の顔が見えない分、仕入れるかどうかの決断に迷うことが本当に多いのです。
というのは、一般のお客様からの問い合わせだと思い込んで話していると、実は同業者からのものだったということが結構あるのです。一般客を装い、フリーダイヤルに掛けてくるのです。丁寧に教えたら、『ありがとう。』で終わりです。
昔でも、同業者に商品を貸したことはあります。でも、最初に名乗るのは当たり前のことで、理由を言って借りに来られましたし、問い合わせの場合でも、一般客のふりをして聞いてくるなんてことはありませんでした。フリーダイヤルを使って注文してきて、こちらがその商品を探し回っても入手できず、そのことを話すと、『やっぱり無いんだ。』との返事。こちらは、『はあっ?』です。そこで同業者からの問い合わせだったことに気づくのです。
自分で勉強して商品を知り、問屋やメーカーをチェックしてその商品を探し出すことで知識を深めていく。そうしなければ、何度でも、ただ聞くだけの対応になってしまいます。
そんなことは、もうそれこそ卒業してもらいたい。そう願う日々です。

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第861号 2015年3月10日「卒業 No.2」

卒業式シーズンである3月は、卒業袴の着付けの予約が毎日のように入っています。交代で従業員に早出を強いることになるので、申し訳なく思っています。でも、これは成人式当日と同様、お客様へのサービスの一環として、他店とは違うことを提供したいと行っているもので、これからも続けていきたいと思っています。より美しく、楽しい記念日となるよう、そのお手伝いができれば幸いです。
店内でやっていると、当日の支度の過程でいろいろなことが起きるということがよくわかります。
店によって多少方法は違うものの、着付けの予約をされたお客様には、予約日時、ご持参いただく物、当日の注意点など、係の者が以前の失敗も参考にしながらお知らせしています。それでも、寝坊をして予約時間に遅れてくる、やらないようにとお願いしている朝シャンをやってしまった、朝食を食べてこなかった、成人式当日の支度の途中で予定外のヘアスタイルへの変更を希望する、などといった困ったことが起きます。しかし、スタッフ皆でカバーし合い、何とか時間に遅れることのないようにと調整しています。
私が間に合わない分、従業員は成長しているもので、ついつい言ってしまう一言が要らぬお節介という場合が多くなってきました。任せておいたほうがいいものですね。
今年には間に合いませんでしたが、ホームページのほうも、卒業袴についてもサイズ検索ができるようになりました。来年のお客様は、今年よりも簡単に調べることができるようになるでしょう。もう少し調整を続けていきたいと思っています。どうぞご利用ください。

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第860号 2015年3月3日「卒業」

いよいよ卒業式シーズン。今年も、もう3月になってしまった。早いものです。そんな風に感じるのは年のせいかな?
男袴は今年も清武、女袴は矢絣が人気です。小学生用女袴も一般的になり、小学生用男袴や幼稚園児の卒園袴もポチポチあって嬉しく思っています。卒業スタイルは、和ブームなのか?
小学校・中学校・高校で着付教室や和裁の時間を作っていただくことは、日本文化の見直しと共に、着物の関心度を高めるにはとても良いことです。毎年縮小傾向の着物業界にとって、有難い限りです。映画やテレビの時代劇の中だけで見るような存在では悲しいです。本当は、我々のように着物に携わる者たちがもっと着物を着用して、その素晴らしさをアピールしなくてはいけないのです。
オシャレ着である紬の着物を着る人も少なくなり、観劇に行っても、あの大島紬を着ている人がいない。寂しい限りです。ご住職だけが着用者として残るのだろうか?白・黒の世界だけでは悲しすぎる。
どこの国でも、その国の文化を守る上で民族衣装を大切に継承しているのに、どこでどう路線が変わってしまったのか?明治維新によるものか?敗戦か?とにかく、現代は洋装の時代であることには間違いない。
和の文化が見直され、和食・和紙に続き、きっと次は和服だ!2020年のオリンピックには2,000万人以上の外国人旅行者が訪れると見込まれている。『おもてなし』日本をアピールするためにも、ぜひとも多くの日本人に着物に目を向けて欲しいと願う。たまには、家族みんなで着物を着て、近所の氏神様で手を合わせる。お正月でなくても、やってもよいのでは?
卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。学生生活に区切りをつけて、次の新しいステップへ進んでください。ご両親に感謝しましょう。

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第859号 2015年2月25日「誂(あつら)え」

別誂えの着物というと、高額なイメージが付きまとう。そんなイメージの中で、名古屋友禅の作家は、別誂えに特化した仕事をしておられる。
メーカーにも問屋にも小売屋にも関わりを持たず、その作家の作風に惚れ込んで注文してくるお客様を持っていたり、知人の紹介で注文を受けたりして制作するのである。
このたび、藤井浩氏 の黒か濃紺の訪問着がほしいというお客様があった。今は、インターネットで何でも調べることができる時代。『藤井 浩』氏で検索して、彼の作品やその価格までチェックすることができたようだ。黒の訪問着も載っていたので、その呉服屋さんに問い合わせてみたところ、すでに売れてしまったという答えが返ってきたそうだ。それなら、ホームページから削除したほうがよいと思うのだが、そのまま載せ続けている。
そこで、問屋に問い合わせてみた。いろいろ調べてもらったところ、別誂えでの注文なら受けてくれるというのだ。『1点もの』になるから高額にはなるが、作家の知名度から考えると、提示された価格でも安価なのであろう。
どんな作品にしたいのか?見本があって、その見本のままの作品を作ることもできるが、どうせ作るならオリジナルの作品にしたいものだ。昔は、こんな思いで何度も書き直して仕上げたものだ。春のお茶会用、誰々の結婚式用など、その時期や目的に合った花や鳥、景色を描いた。作品が仕上がるまでの楽しみは格別だったであろう。
以前、大変お世話になった友人に、岩魚(イワナ)の好きな人がいた。そこで、その友人にプレゼントするために青木龍雲氏に岩魚の絵を描いていただいたことがある。それはまるで、生きた岩魚がそこにいるかのような作品だった。
良い作品は、いつまでも残るし、人を感動させる。

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第858号 2015年2月16日「着物のこと No.7」

私の祖父にあたる正直屋の初代・奥田正直は、毎日着物姿だった。
私が大学生の頃には、すでに店は父の代に替わり、ほぼ隠居の身となっていた。私と同じく糖尿病で、白内障も患っていたから、仕事から徐々に遠のいている感じだった。反対に、祖母は仕立物の係を任されていたので、第一線で働いていた。
年老いた時に、年相応の趣味が無いのも困る。祖父に趣味が無かったわけではない。書道も上手だったし、骨董の趣味もあったようだが、目が悪くなってからは、年を追うごとに興味が薄れていったのだろう。
そうすると、日々、することが無い。店に出ていても、商いは番頭や親父がする。取引先の知った人がくれば、話はするが長話は相手の迷惑となる。昔話の延長は、酒の席でなら楽しいかもしれないが、昼間にするようなものでもない。
そうなると、もっぱら従業員がやっている商いを横で眺めるのが仕事になる。眺めるだけならいいのだが、口をはさみたくなる。40年も50年もきもの屋をやってきたベテランだ。キャリアが違う。しかし、たたき上げのベテランの話は、その場にそぐわない。商品も商いの手法も、常に変化しているわけで、いつまでも年寄りの話が通用するわけではない。
最後まで店に出ていたが、孫の私には、見苦しいだけに見えた。親父はどう思っていたのかはわからないが、祖父が元気な頃は、店にはおられなかっただろう。
私も、祖父と同じような年齢になった。祖父がそうであったように、なかなか引き下がることができない。目が見えないのだから、従業員に任せておけばよいのだ・・・と、わかってはいるのだが。
これからの自分の仕事は何なのだろう?流れの速い時代、行く方向を間違えないで生きることは難しい。
今やれることは、祖父と同じ。毎日着物を着て、店に出ること。

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第857号 2015年2月9日「着物のこと No.6」

近ごろは車社会になり、羽織や道行コート姿を見かけることが少なくなりました。車で移動するから、少々寒くても必要ないのでしょう。
ホテルで行われる結婚式等では、ホテルで着付けてもらって式の間だけ着装し、終わればまたそこで脱いでくるわけだから行きも帰りも洋服です。違うのはヘアとメイク。普段と変わらない洋服姿にド派手な髪形。中年女性にとって、そんなことはお構いなし・・・などと書くとお叱りを受ける。
成人式の若いお嬢さんは、ここが違う。二次会用のパーティードレスのことも考慮して、洋装にも和装にも合うスタイルにされる。そして、髪飾りを工夫したり、付け替えたりしている。さすがです。
私としては、出掛ける時から帰宅するまで、つまり、二次会でも振袖姿でいて欲しいと願うのです。せっかく高額な振袖を用意したのに、前撮りと当日3時間だけでは何とも悲しい。長時間着装されることで、日本人として着物を身体でも感じて欲しいのです。
『日本人=着物姿』と考えるのなら、本当は自分で着れるようになっていただきたいのですが、現在の着付教室は、まるで物売りの教室のようになってしまった。とても残念です。
道具を使用しないで気軽に着るには、やはり着慣れることしかないのです。方法としては、お茶・民謡・能など、和の作法を学べる教室やグループに参加することです。
和食や和紙が世界文化遺産に認定され、『さあ、次は和服だ!』などど考えるのはおかしいかな?毎日の生活の中で着物を着て、和食やお茶・花を楽しみ、時には歌舞伎・浄瑠璃・能・相撲等、日本古来の芸能を堪能するのも楽しいですよ。お金のかからない楽しみ方なら花見でしょう。桜・アジサイ・菖蒲・・・いくらでも着物を着る機会はあります。日本人として、そんな時間を作ることが出来れば心遣いも生きてきます。その場しのぎの着装では、きちんとした『おもてなし』にはなりません。

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第856号 2015年2月3日「着重ね No.2」

今でも田舎に行けば見られるが、日本の家屋はすべて土壁だった。竹を編み、土を混ぜて壁を作った。専門家ではないので、どんな種類の土かは知らないが、二度ほど塗り重ねて乾かした後、最後の上塗りをする。
日本には四季があり、暑かったり寒かったり、湿気の多い時季もあれば、乾燥する時季もある。土壁は、その温度や湿度の調節に役立つのだ。そして、障子紙や襖(ふすま)も、それを助ける役目をした。
昨年、世界文化遺産に和紙が認定された。紙も土壁と同様、日本家屋にはなくてはならない存在だったが、まるでその役目を終えたかのように、現在の建築物に利用されることは少なくなった。
箪笥(たんす)も減り、作り付け家具が多くなった。確かに部屋は広々とするが、裏側では結露が発生する。特に、着物にとって湿気は大敵。カビを防ぐ対策が必要となる。その点、桐箪笥は裏側にも下部にも空間ができ、湿気対策にはとても良い。
さて、日本人は、日本の四季を乗り切るため、建築物と同じように、着物にもいろいろと工夫をして着用してきた。夏はさらっとした麻織物、寒くなるとウール素材に替えた。(これは、綿・ウール・絹が輸入されるようになった四百年くらい前から始まったことだが。)
日本は重ね着文化と言われる。冷暖房のなかった時代は、その季節に対応するべく着る物を替えて生活した。寒ければたくさん着る。暑ければ裸に近い状態で過ごした。現代人の体格とは異なり、昔の人は小柄であったが、機械に頼らない日々の暮らしは、病に強い丈夫な身体を作ったに違いない。
人間は、便利さは手に入れたが、その代わりに弱い身体になってしまった。着重ねの生活に戻そう!・・・なかなかそんなわけにはいかない。時には、そんな生活を体験するのも、身体のためには良いかもしれない。

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第855号 2015年1月26日「着物のこと No.5」

和食が世界文化遺産に登録され、このたび、和紙も登録された。和服がなぜ登録されないのか不思議だ。
外国人旅行者が1,000万人を越え、その中には着物姿に興味を持つ人がいる。実際に、京都では、着物を着て観光できるというようなサービスを行っているところもある。旅先である日本で着用体験をして着方を覚え、購入して帰れば、自国に戻ってからも着用するという楽しみが味わえる。日本人自身が忘れてしまった『見る喜び』、『持つ喜び』、『着る喜び』だ。
つい数十年前の日本人は、普段の生活の中で当たり前に体験し、日々の忙しい生活の中で着物を着用し楽しんできた。外出着として、お茶やお花の会に、観劇に、そして四季折々の花々の観賞の折に・・・と、いろいろな場面で着物を楽しんできた。その日本人が着物を着なくなり、外国の人々は楽しんで着用される。
そもそも着物は着る物、普段に着用するものだった。1,000年以上の日本の歴史の中で使用されてきた衣装が、百数十年の間に洋服に変わってしまった。安価で便利で活動的な洋服は、まるで昔からあったかのように日本人に浸透してしまった。
外国人の目から見た着物は、どんな感じに受け止められるのか?そして、彼らの着姿を見て日本人は着物をどうとらえるだろうか?今、もう一度着物を見直す良い機会となるだろうか?

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