第858号 2015年2月16日「着物のこと No.7」

私の祖父にあたる正直屋の初代・奥田正直は、毎日着物姿だった。
私が大学生の頃には、すでに店は父の代に替わり、ほぼ隠居の身となっていた。私と同じく糖尿病で、白内障も患っていたから、仕事から徐々に遠のいている感じだった。反対に、祖母は仕立物の係を任されていたので、第一線で働いていた。
年老いた時に、年相応の趣味が無いのも困る。祖父に趣味が無かったわけではない。書道も上手だったし、骨董の趣味もあったようだが、目が悪くなってからは、年を追うごとに興味が薄れていったのだろう。
そうすると、日々、することが無い。店に出ていても、商いは番頭や親父がする。取引先の知った人がくれば、話はするが長話は相手の迷惑となる。昔話の延長は、酒の席でなら楽しいかもしれないが、昼間にするようなものでもない。
そうなると、もっぱら従業員がやっている商いを横で眺めるのが仕事になる。眺めるだけならいいのだが、口をはさみたくなる。40年も50年もきもの屋をやってきたベテランだ。キャリアが違う。しかし、たたき上げのベテランの話は、その場にそぐわない。商品も商いの手法も、常に変化しているわけで、いつまでも年寄りの話が通用するわけではない。
最後まで店に出ていたが、孫の私には、見苦しいだけに見えた。親父はどう思っていたのかはわからないが、祖父が元気な頃は、店にはおられなかっただろう。
私も、祖父と同じような年齢になった。祖父がそうであったように、なかなか引き下がることができない。目が見えないのだから、従業員に任せておけばよいのだ・・・と、わかってはいるのだが。
これからの自分の仕事は何なのだろう?流れの速い時代、行く方向を間違えないで生きることは難しい。
今やれることは、祖父と同じ。毎日着物を着て、店に出ること。

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