きもの選びは友達探し、あなたの笑顔に癒される by かずまさ

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第642号 2012年7月6日「娘」

今頃の時期になると決まって思い出す光景がある。
娘が小学校低学年の頃のことだ。学校から帰ると浴衣を着たがり、毎日その姿で遊んでいた。私や母さんが着物を着ていたから、自分も家にいる時は着物を着るものだと思ったのだろうか?子どもだからバタバタ走り回る。裾を踏んずけてバターンと転んでも泣かない。しょっちゅう転んでいるから泣いている暇などない。可愛かったね。
娘が9~10歳くらいの頃。当時、自店のDMに載せるための写真は私が撮影していた。ある時、七五三の写真を撮りたいと思い、娘をモデルにして撮影した。マミヤの写真機で私が撮った最高の写真が正直屋HPの十三参りか七五三のページに載っている写真です。座って挨拶している姿、可愛いでしょ。
4~5年前から正直屋でも前撮りをするようになり、各店で写真撮りをしています。成人式の記念にと、家族写真もあわせて撮ることをお勧めしています。お父さんが一番喜ばれます。
私と娘のツーショットはありません。もっと早く気づけばよかった。でも、今でも子どもの頃の家族写真は肌身離さず持っています。時々取り出しては『可愛い』と思って眺めています。

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第641号 2012年7月4日「昔の話-私のこと No.18」

横領事件が発覚したその年の10月16日、親父が他界した。亡くなる前に犯人が捕まってよかった。その後、残務整理のために月に2~3回、友の会で会合を開いては後始末をした。現在は、財務省へ届け出て、当店だけで会を続けている。友の会というのは、きもの大好き人間にとっては特典もあり、いい組織だと思う。
親父が亡くなった後、M社のOさん、同業のT社のHさんも亡くなり、名古屋のきもの業の名物親父がいなくなった。この2~3年のうちに、業界人の顔ぶれも変化していった。
横領事件では、A弁護士からいろいろとアドバイスをいただいた。感謝している。

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第640号 2012年7月1日「跡継ぎ」

中小企業にとって現代は厳しい時代です。しかし、跡継ぎがいれば、親としては当然継続してやっていってくれるだろうと半分期待を込めて願うものだ。
先日、同業者の会合で、『中学生の息子が中学を卒業したらすぐ店をやりたいと言っている』という話を聞いた。羨ましい話だ。また一方では、次男を奉公に出したら途中で戻され、そうこうしていたら跡を継がずに会社勤めをし、結婚して子どもまでいる長男が店を継ぎたいと言い出したとか、現在は娘二人が店を手伝っているのだが、息子二人もきもの屋をやりたいと言っている、とか・・・。厳しい時代で毎日どんな日々を送っているのか子ども達はよく知っているはずなのに、それでも後を継ぎたいと言う。子は親をよく見ている?それまで子どもをどう育てたかということではなく、楽しんで仕事をする姿を見ていると、他の仕事のほうが給料が良かったとしてもこの仕事をやりたくなる、そんな魅力があるのか?夫婦仲もよく仕事を本当に好んで働いている。『こんな素晴らしい仕事はない!』と心から思い動けば、お客様にも理解され、店員も生き生きと働く。
『子を見れば親がわかる。親を見れば子がわかる』、と言う。老舗(しにせ)とは『仕似せ』からきた言葉だそうだが、次代へ続けられる店にしたいですね。

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第639号 2012年6月29日「昔の話-私のこと No.17」

『東海呉服友の会』というのは、昭和50年代に通産省に前払式証票の届け出をし、お客様から積立金を集め、満期が来ると特典を付けてきもの等の商品を購入していただくという組織だった。平成9年の正月明けから、会合には私が出席するようになっていた。
ある時、女性事務員による横領が発覚した。7年間も事件が発覚しなかったのは、犯人がそれだけ権限を持っていたということで、役員も8人いたが、監査が出来ていなかった。会計士も丸め込まれてしまっていた。完全解決まで6年かかった。真面目なきもの屋さん達に大きな損害を与えてしまった。悲しい出来事だった。
友の会残金に不信を持ち始めて、番頭と2人で事務所に行った時のこと。帰りの車の中で、番頭が『あの女性は絶対横領しとるから自信を持って追及しろ!』と言った。『なぜそんなことがわかるのだ?』と尋ねたら、『そんなこともわからんのなら、この商売をやめろ!事務員の給料であんな服装や宝石がつけられるか!?』
この言葉は、商いの基本を教えてくれた一言だった。

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第638号 2012年6月25日「昔の話-私のこと No.16」

平成9年の5月に本店の店舗内装工事をした。その年の10月に親父が永眠した。
社長になるまでの仕事は、ひとりで車を運転しての外回りだったから、気ままに一日の予定を自分で考えてお客様宅を回っていた。といってもお客様からの注文が毎日あるわけではないので、『友の会』の集金をしながらの御用聞きになる。忙しく動けばそれなりに売上も出来る。サボればそれなりの売上にしかならない。一年間を通じて、招待旅行の人数が50人前後出来ていた。ということは、真面目に回っていたことになる?
社長になると、それまでのようには動けなくなった。店の仕事が多くなった。それまで気ままに動けたから、たまに友人とサボっていても数字さえ作っていればよかった。
緑内障になり運転ができなくなると運転手付きの営業となり、それまではお客様宅でサボっていたり、営業とは関係のない話をしたりしていたが、商いの話が中心になり楽しい一日とはならなくなった。
現在62歳。昔遊ばせてくれたお客様たちも一人二人と他界され寂しくなった。生活様式も変化した。商いの方法もずい分変わった。『きもの屋』はいい商いだと思う。自分で好きなようにできるなんて素敵だよ。

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第637号 2012年6月22日「昔の話-私のこと No.15」

平成6年から8年という年は、正直屋にとって一番平穏な年だったかもしれない。
弟たちが入社し、店も生き生きとしていた。招待旅行も300人前後の参加者があり、賑やかで楽しかった。
日々の生活では、新入社員教育、従業員同士の親睦、店舗の改装、売上作りに企画商品の持ち回り、組合の展示会、個店の展示会などなど、忙しい中に楽しみもあった。
平成2年から毎日着物を着るようになって、やっと着用する苦しみがなくなった。ただ、着物姿で栄の中心にひとりで出掛けるのには、まだ抵抗があった。他人の目が気になった。
子ども達も大きくなり、親と一緒に遊びに行くのは夏・冬の休みくらいになった。子ども達に手がかからなくなった分、自由にはなったが、少し寂しく思った。

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第636号 2012年6月15日「振袖選品」

『振袖最新情報』とお知らせしても、私のブログをどれだけの若いお嬢さんが見てくれているかわからない。
6月に入り、26年成人のDM作りとしては、今が旬なのか?もうすでに最終段階に入り、夏休みに入る7月早々に郵送を開始する業者もあると聞く。毎年のように少しずつ郵送時期が早くなり、早期パンフなるDMが作られる。悩みながら予定表とのにらめっこです。
当店が加入している振袖21グループでは、早くて9月郵送となるので、今は最終の選品時期です。定例会議のための毎月初めの京都出張も、5・6月は特に力を入れてメーカー巡りをしました。まだ商品に仕上がっていないものはラフで見せてもらったりしているので、メーカーさんも対応が大変です。しかし、振袖新作状況をチェックすると、我がグループはとても良い時期を狙って選品しているようで、最旬の振袖をチェックできているようです。7月になれば、ほぼ商品も決定でき、写真撮りに移れるようです。モデルさんもこれから選ぶ予定なので、係の方も毎日忙しく動かれています。商品選品とDM作りは、今後ますます重要になっていくでしょう。インターネットや情報誌との兼ね合いで、モデルさんを使うのにはいろいろ契約など難しい面もありますが、これからもより良いものを作るために努力を続けていきたいと考えています。
でも、今年はいいよー!選品してきた商品を今すぐにでも取り出してお見せしたい・・・そう思ってます。

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第635号 2012年6月12日「昔の話-私のこと No.14」

糖尿病になって、月に一度、病院に通うようになった。通院のたびに血糖値を測ってもらっては注意され、一週間くらいは摂生し、また元の生活に戻り、また注意されての繰り返し。
ある日、お客様から漢方の先生を紹介され、薬を煎じて飲むように指導された。この先生、ハンドパワーがあるのか?私の身体には触れず、手をかざして診察をする。『お前さん、また親父とケンカしただろ!』当たるのだ。事あるごとに、いろいろと諭された。私もきちんと言われたことを守ればよかったのだが、ただ何となく通っているだけだった。お陰で糖尿病は悪化しなかったが・・・。
その後、健康食品も何種類か飲んでみたが、病気は治るはずはなかった。子どもから、『お父さん、臭い』と言われながらも、十数年飲み続けた。お客様でもある大学病院の教授から、『もう、そろそろ止めたら?健康食品はしょせん食品であって、薬とは違うよ。』と言われ、『それもそうだ』と思い止めた。飲んでも飲まなくても変わらなかった。健康食品を飲むのを止めてしばらくすると、身体の臭いは消えた。

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第634号 2012年6月10日「お宝」

私の年代は、ビートルズやローリングストーンズのレコードをよく聞いた世代だ。ビートルズの日本公演も、テレビで見て、それをオープンリールにコピーしてよく聞いた。ビートルズの曲は、すべてCDを購入し、今でも朝の散歩時によく聞く。曲が発表されてから、もう40年以上経っているのに、新鮮に映るしワクワクする。
ジョン・レノンもジョージ・ハリスンも亡くなってしまった。ジョン・レノンが亡くなったのは12月8日。私の友人にも同じ日に亡くなった人がいて、一生忘れられない日になった。昔は人生50年と言われていたが、現在は70年80年と永く生きられるようになった。ポール・マッカートニーやリンゴ・スターは、今でもあの頃のようにノリノリで演奏しているのだろうか?自分の記憶の中では、いつまでもイメージとして残っている。また、その音楽を聞くと当時の思い出が蘇り、懐かしく思う。
当時は、Gパンをはいて、部屋にはレコード屋さんからもらってきたポスターを隙間なく貼っていた。そういえば、映写機でしか見ることのできないビートルズのテープをいただいて・・・。どこかにしまいこんであると思うのだが、それこそ私の宝物だよ!あの頃、貼っていたポスターも残しておけばよかったなぁ。でも、私にとっては宝でも、残った人にとってはガラクタにしかならない。
40年なんて早いもんだね。その間、楽しいことばかりではなかったが、変わらず生活できているんだから、平凡が一番の宝かな?

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第633号 2012年6月8日「絆」

最後のお見送り、つまり、葬式は誰にでもある。幸せだった家族の絆もその時限りになってしまう。
朝のワイドショーで、みのもんたさんの奥様の葬儀を見た。喪主としての最後の挨拶の中で、娘さんが着ている喪服の話をされていた。『娘さんが急に奥様の喪服を着たいと言い出した。寸法が違うからやめるよう言ったのだが、どうしてもということだったので当日着せてみたら、娘さんのサイズに作り直されていた』というものだった。娘さんがそんなことを言い出したのは、葬儀の時には当然のこととして喪服を着るものだという教えがあったからに違いない。娘さんが、突然、親の教え以外の行動をとることは考えにくい。母親はそんなことを想定して、娘には内緒で喪服を作り直しておいたのではないだろうか。昔なら、そんなことはどの家庭でも行われていたことだ。親の子どもに対する教えや愛情はこんなところにも表れる。近ごろは、身内の葬儀でも洋服で済まされる方が多くなった。寂しいですね。
最近は、何でもレンタルできる時代だ。レンタルが悪いわけではない。簡単で手間もいらず片付けなくてもよい。便利な点はたくさんある。しかし、親から子への継承すべき教えを伝えることはできない。きもの屋だから考えることではない。『絆』の大切さを見た思いがした。

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