第848号 2014年11月28日「名古屋友禅 No.5」/「番頭 No.10」

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「名古屋友禅 No.5」
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前回(第847号)『伝統的工芸品』についてご紹介しましたが、そこで名古屋友禅も伝統的工芸品であると書きました。実は私、その名古屋友禅の宣伝マンなのです。正直屋のホームページでもご紹介しており、それを見た方から、工房を紹介してほしいと、時々問い合わせがあります。
『名古屋友禅』といっても、現在、手描きの作品は市場にはほとんど出ておりません。残念なことです。30年くらい前は、堀江勤之助さんという作家の方もいらっしゃったのですが、当時でも高額でした。どうせ高額な品を購入するのなら、知名度の高い京友禅や加賀友禅をと思うのが世間一般の考え方なのかもしれません。目にすることがなければ、欲しいと思っても手に入れることはできません。もっと世間に広く出回るような作品をと願うばかりです。
何人かの作家の方のお話を伺ってみると、すべての作業をほとんどおひとりでされているということでした。まさに逸品、そして一品限りの作品です。同じ柄でも、その時の気温や湿度、あるいは、お客様の好みで、色が濃くなったり薄くなったりと、まったく同じには仕上がりません。そんな手描きの良さや楽しみがあるのが名古屋友禅です。
興味を持たれたら、お電話ください。
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「番頭 No.10」
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外廻り中心の仕事となると、1日のスケジュールを前日には立て、時間を考えながら動かなくてはならない。正直屋では、男性社員は、主に遠方の顧客を廻った。昭和50年代から60年初めの頃など、車にクーラーなんて付いていない。暑い夏の日などは、車の中にいるより、お客様宅でアイスコーヒーでもいただきながら雑談していた方がいいに決まっている。営業で数字を作っている人は、そんなことも計算に入れながら廻っておられた。
そういう人は、とにかく雑談が上手い。商品の話はほんの少しだけで、あとは、そのお客様に合わせた話を巧みにされた。新聞やテレビ等から情報を得ることにも余念がなかった。
お客様宅へ行っても、応接間に上げていただき、話を聞いてもらえるようになるまでには大変な苦労が要る。番頭と一緒なら上げてもらえても、ひとりだと玄関にすら入れてもらえないこともあった。
雑談ができるようになるということは本当に難しい。ハードルを越えることになる。現在の商いの様子を見ていても、雑談ができるような従業員はいない。それでお客様が満足しているのならいいのだが、薄っぺらな講釈では、『なぜ振袖を着るのだろう?』というお客様の疑問には答えられない。
日本人というのは、習い事は形から入る。着物というものは、着てみると着づらくて活動的でないことを知る。そして、洗い張りをしたりリフォームすることにより、何度も蘇らせることができる。着物というのは、本人の体験により、その良さや魅力が増していくものなのだ。
上っ面だけの商いでは、いつかは消える。当店の第一番頭は、定年の日まで毎日着物を着ておられた。そういうスタイルの人がするこだわりの話や世間話は飽きがこない、くどくない。だから、お客様も聞き入ったのだろう。

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