第959号 2021年2月23日「着物」

私が中学生の頃だから、昭和40年頃のことだが、当時の正直屋は総合衣料品店で、扱う商品は洋品、肌着、オーダー洋品、学生服、毛糸、布団、ウールや綿の着物、という具合に衣料の『なんでも屋』だった。高級品である本場大島紬や振袖などは、在庫として一反も無かった。後に知ったことだが、絹製品は、取り扱う問屋や販売する小売店が決まっていて、我が店は、絹物を扱うことはあっても、洗い張りや安価な銘仙(めいせん)の着物くらいで、紬、小紋、附下、留袖、訪問着等の品は、仕入さえもできなかった。
高度成長期に入り、一般庶民も着用できるようになると、やっと少しずつ仕入ができ、在庫を持てるようになった。そんな頃からだろうか?小さな小売店が集まり、組合を作って、展示会販売を行うようになった。丁稚奉公を終えて店に戻ってきた昭和50年頃には、店が3店舗となり、番頭夫婦も3組となり、外商と展示会販売で着物がよく売れた。当時は、着物を着用する人も多かったし、生活に余裕ができてきたからだろう。
電気製品も一通り持てるようになると、旅行や美容、宝石、衣装にもお金が回り、それ以前とは違った衣食住の豊かな日本になった。そんな時代に、着物好きは、それまで持てなかった衣装をたくさん購入してくれた。着付教室に招待旅行、観劇招待など、着物屋もいろいろと工夫して着物着用の機会を作った。そして、大半の日本人は、そうすることができる時代を過ごしてきた。
豊かになった日本人の関心は、それまでの『物』から『事』に変化した。ある物をどう使うか、どう楽しむか。着物なら、それを着て京都に出掛け、寺院巡りをしたり、庭園を散策したり、染屋や悉皆屋を見学したり、次は、自分でデザインしてみようと染物教室に通ったり。個々の楽しみ方は様々だが、そんな提案ができるお店が生き残っていく店なのだろうか?着物文化が消えることは無いだろうが、工夫が足りないのは事実。悲しいことです。

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