第850号 2014年12月23日「着物のこと No.2」

『ジロジロ見られるから着物を着るのをやめた』というお客様があった。現代は、どうしても着物を着なくてはいけない時などない。洋服のほうが気軽だし動きやすいし、ジロジロ見られることもない。
洋服でも、昔は普段着と外出着とに分けていたが、今は分けて着用することもない。若い人たちは、結婚式も葬式も、普段とあまり変わらない服装で出席する。時には新調することもあるだろうが、我々の年代から見れば、毎日が外出着の感じだ。着物も、昔はきっとそうであったに違いない。結婚式や葬式などは、年に何度もあるわけではない。
普段は、素材でいうなら綿・麻・ウール、暑くなれば裸に近い薄着にして暮らし、寒くなれば1枚2枚と重ね着をして温かくした。雪が降る地域は、綿入れを着用した。もちろん、生活着だから袖のない作務衣だ。いつから現在販売されているような袖の付いたスタイルを着物と称するようになったのかはわからない。
公家・武家・寺家の位の高い方たちは、日常、袖の付いた和服を着用されていたかもしれない。でもそれはごく一部で、全体の数%にも満たないだろう。彼らも、普段の生活の中では、やはり袖など付いていない衣を着用されていたと思う。袖が装飾品のひとつであったと考える方が理解しやすい。作務(仕事をすること)に、袖は必要ない。
袖には神が宿り、袖を振ることで幸せが舞い込むという袖振り信仰の話もある。長い年月、日本人は自然や物体に神が宿っていると信じてきた。これが神道だ。袖振りとは、つまり神振りなのだ。だから、特別な日に着用する。神が自分を守ってくれると信じたのだ。
袖の付いた着物が普通に着られるようになったのは、世の中が平和になった証明でもある。戦では、袖はジャマになるだけで必要のないものだ。一番良いスタイルで残ったのが今の着物かもしれない。
そんな縁起の良い着物を、私は毎日着用している。しかし、私自身も着始めた頃は、人が大勢いるような中心街を着物姿で歩くのはイヤだった。ジロジロ見られることにドキドキしたりもした。『きれに着用できているだろうか?』と気になって仕方がなかった。
だが、慣れてくるといい加減な着用でも『これが自分の着こなしだ!』と思うようになり、着付師に着付けてもらうきれいな着装に対しては、『締め付けられて可哀そう』と思うようになった。着物は自然に着なれていくのが一番。『曲線縫いの洋服と違い直線縫いの和服はきれいに着用するには着慣れるしかない!』と考えるようになった。『洋服に着付教室があるかい?』と思うのだ。
あと何年着物を着続けられるだろうか?自分勝手かもしれないが、自己流で着続けたい。それでいいと思う。

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