第792号 2014年2月25日「番頭」

10年前まで、店には、親父が育てた番頭夫婦が3組いて、商いも固定客が中心だった。
お客様には、『友の会』に入会していただき、日々、そのお客様たち廻りをしながらの外販と、展示会での販売が主だった。各店2台以上の車を保有し、近所のお客様宅には、自転車やバイクで伺った。すべての店の立地が悪く、その対策もあっての商いの方法だった。しかし、その商法で店を4店舗まで増やしたのだから、親父や番頭たちが、いかに働いたかということだ。
悪条件を克服するために、『友の会』を立ち上げて、外販をした。現在とは違い、ホームページもなく、テレアポもせず、総合呉服のDMしか発行していなかった。婚礼の準備のために着物を買い求めたり、普段から着物を着用している人もたくさんいた時代だ。
数は減ったものの、今でもそのような方たちはいると思うのだが、そういう方を満足させるには、相当の商品知識や『おもてなし』法が必要となってくる。番頭たちは、根っからの叩(たた)き上げで、いろいろなことを経験しながら習得していった。
どんな仕事でも同じだと思うのだが、その仕事で一流になるためには、その仕事に没頭する意気込みがなければ、なれるものではない。親父は、生前、『うちへ来る人に、一流なんかおらん。他人より長時間働いて、たとえ給料が安くても頑張れる人じゃないとやっていけん。』と言っていた。だが、果たしてそうか?その中に一人、二人、一流人が紛れ込んでいて、その人自身、もがき苦しみながら、他の人たちを良い方向へ導いてくれたからこそ、今があるのではないだろうか。
月に一度の合議制による店長会議、お客様を対象とした招待旅行、東海呉服組合を利用した展示会、自店で行った創業50周年祭など、今思い返してみると、良いものはいくつもあった。

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