第774号 2013年12月18日「親父の教え No.7」

私は今でもバカ息子と呼ばれているが、30歳代40歳代は、やりたい放題、仕入れ先には言いたい放題だった。だから、衝突する。ほとんどの場合、私が自分の意見を曲げることはなかった。
経験を積んだ先輩番頭たちの仕入れた品物が安いことに気づくと、無理やり同じものを仕入れた。今なら、どうして番頭たちは、その値段で仕入れることができたのかを考えるのだが・・・。売上作りのために損を覚悟で卸してくれた品もあったことだろう。しかし、そんなことはお構いなしだった。店長会議で親父に叱られた。しかし、反省などまったくしなかった。もちろん、何度もいやな思いもした。大概の場合は収まった。番頭が裏で手を回してくれたのか?親父が謝ってくれたのか?『バカ息子のやることは・・・』で通ってきた。
広告の仕事も、求人の仕事も、私がメインでやってきた。求人は、毎年何人か採用した。店も、毎年成長していた。番頭たちのメインスタッフが私や妻を入れて8人になり、店も4店舗となった。従業員も15~6人になった。私が育てた人材は、一人もいなかった。弟が入社、番頭の息子が入社、第二期正直屋が始まろうとしていた。2人とも結婚し、戦力は4人になった。
昭和から平成になり、きもの販売の手法が少しずつ変化してきた。親父が平成9年に亡くなり、その頃から、婚礼衣装の売れ行きが少しずつ悪くなった。着用しない品が売れるはずがない。番頭たちは定年を迎え、弟たち4人は病気等の理由で退社した。
平成25年に創業90年を迎えた。『お客様に喜ばれる店作り』を一日でも長く続けたいと願う。

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