第801号 2014年4月1日「昔の話-私のこと 番外編No.3」

801私は、昭和45年から、正直屋を手伝うようになった。
手伝い始めて間もない頃、Mという京都の問屋さんの誘いで、京都で開かれたセミナーに初めて参加した。経済研究所の話を聞いた。データ管理のすごさにビックリした。自店だけでは思いつかないような手法や他店の企画を聞くと、我店の力不足を感じた。といっても、当時の自分は、まだ商いもしていない若造で、きもの業界のことは何も知らなかった。
その頃は、名古屋でも活発に呉服組合の会合が行われていた。親父が、その代表を任されていたので、全国のきもの業界のいろいろな情報を入手できた。それがあって、前述のセミナー参加もあったわけだ。
当時のきもの業界は、景気が良かった。県や市にも協力していただき、いろいろなイベントを行った。その後、名古屋でも、各問屋さんが各々のきもの屋を集めたセミナーや、オリジナル商品の開発も行うようになった。よい時代が続いた。
東海呉服振興会では、組合員が100軒近くに増えた。その時流に、組合員もうまく乗った。お客様も、着物をよく着用されていた。着物を着て観劇に行ったり、招待旅行に参加していただいたりして、我々も楽しんだ。
平成10年頃から、きもの業界は、毎年のように縮小し始めた。しかし、そんな中でも、成長している着物屋さんもある。どうやったらいいのか?続けることは難しい。
現代は、インターネットの時代だ。お客様に喜んでいただけそうな情報を集めて発信し、店をアピールしようか、というようなことも考えている。いかに早く行動するかがカギになるのだろう。

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