第799号 2014年3月25日「着物昔話 No.3」

本場大島紬を、在庫に持つようになったのは、昭和50年頃。番頭たちが、苦労を重ねて、大島を持てるまでに店を成長させた。私が、奉公から戻った頃のことだ。
いざ、それを持ってお客様廻りをすると、着物好きの方から、『あんたんとこには、こんな着物ないでしょう。』と黄八丈を見せられたり、小千谷や塩沢の紬を見せられたりした。悔しかった。だが、次第に、そんな品も在庫に置けるようになった。
意外にも、一番最後に持つようになった商品は、振袖だった。。昭和55年頃だったと記憶している。
振袖を売るには、若い販売員が必要だった。私が戻ってからは、求人に力を入れ、新卒者を何人か雇い、本格的に成人対象者を相手にできるよう、店を変化させていった。もちろん、売上の大半は、友の会に加入している固定客や、招待旅行のついた企画販売での売上だった。
若い従業員たちは、名簿を持って新規客廻りをした。従業員教育もした。よく売った者には、報奨金も出した。
番頭たちの日々の売上があったから、新規開拓が出来た。また、呉服組合の展示会が利用できたから、新規の重要さも知った。当時、Iという問屋さんが、若い後継者を集めた勉強会を開いてくれていて、それにも参加した。
昭和の終わりに、インターネットの重要性を学び、これからの時代の方向性を教わった。今頃になって、その頃の先輩たちの先見性のすごさを感じる。

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