きもの選びは友達探し、あなたの笑顔に癒される by かずまさ

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第932号 2018年11月21日「日に新た」

成功体験をされた人は、自分の生き方に自信があり、話し方も力強い。特に、営業で誰もが出来ない数字、手法、企画等で成功した人は、退社されてからも、自分がいた会社については、我が子のようにその成長を願い、色々な注文や意見をしてくる。
中小企業の我店でも、やはり成功者がいて、当時は、その人が絶対的であり、数字も作った。販売手法にしても、その方法が絶対的であったから、その真似をしなさい、と親からも強く指導された。だが、それは、能力のない私にとっては、苦痛でしかなかった。親の言うことは、当時の自分にも理解はできた。育った環境や、その時置かれた立場を考えもしないで、同じ方法で戦うことには無理があった。しかし、成功体験の基で店が走り出している以上、その人に従うしかなかった。親父が亡くなってからは、店の方針は、私に決定権があったので、少しずつ変えていった。
人は年を取るもの。また、世の中や社会も変化し、お客様も変化している。それが最高の方法であったとしても、それを続けることは難しい。いくら良い方法だと解っていても、成功者の真似が出来る人間などそんなにいないし、育ってもいなかった。成功者が儲けてくれる、と皆が利益にむさぼりついていただけだった。親父が亡くなった2年後に、お袋も亡くなった。そうすると、嫌でもついてくる人間は女房しかいないことが解った。
成功者であっても、松下幸之助が言う『日に新た』という言葉の重さなど、本当に解る人は少ないように思う。、彼らも、褒(ほ)められれば嬉しいもので、その時の社会の流れや、ずっと先のことまで考えて物事を進めたりしない。だから普通の人なんだろう。
親父が亡くなった平成10年頃までは、まだ着物業界も良かった。その後、名古屋の問屋さん、小売屋さんはどんどんリタイアした。どこまでパイが小さくなるだろう。だが、正直屋は友の会(呉友会)を運営している。会員がいらっしゃる以上、生き続けなくてはならない。お客様が喜んでくださる店になるよう正直な経営をしたい。

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第931号 2018年10月24日「カレンダー配り」

先日、お客様から、『私は昭和8年生まれだけれど、あなたは10年くらい?』と聞かれた。『もう少し若いですよ。』と答えたら、『ふ~ん、13年くらいか。』と言われた。本当は、昭和25年生まれ。それ以上、会話は続かなかった。
もう43年もお付き合いのあるお客様ですが、わからないのだ・・・。そんな年齢に見られるなんて、頭をグレーに染めても、歩き方や仕草が老人ぽいのでしょうね。
それにしても、昭和一桁だというのに、女性は元気ですね。そんな年には見えない。目も耳も良く、歩く姿もシャンとしている。私は、古くからの自分のお客様だということに気づかず、その場しのぎで会話をして、帰られてから女房に『あの方は誰だ?』と聞く始末。10年もお会いしていないと、印象が違って見える。女房は、『ちっとも変っていない。』と言うのだが。私の印象も、目の見えていた時とはやはり違って見えるのだろう。時々訪問したりしてお話ししているお客様だと、声だけでもその方の名前が出てくるのだが、年を取るということは、忘れることも多いということだ。
現在の私の仕事内容は、お客様訪問をしていた昔とは違い、デスクワークが多い。車を運転しなくなってから16年、早いものです。
今年もあと2ヶ月あまり。年末にはカレンダー配りがあります。昨年は、運転手つきで200本ほど配りました。今年も同じだけカレンダーを注文しました。久しぶりにお会いできるお客様もあります。楽しみです。

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第930号 2018年9月26日「着物のこと No.13」

景気がいいと言っても、それは大企業だけのことで、中小企業はどうだろう?
求人難も同様だ。今は、売り手市場らしい。働く側からすれば、良い働き場所を選べていいのかもしれない。我々の業種では、規模の大きな会社ほど、こちらが求める人材は入ってこない?中堅企業は大変だろうと想像がつく。来てくれるのは、よほどの着物好きかファッションに興味があって、なおかつ和装の知識がある人、または、ほかの着物屋に勤めた経験がある人くらい。
昔は、ガチャマン景気と言って、作れば儲かる時代もあったと聞く。しかし、海外から安価な洋装品が入ってくるようになり、和装のものを着用しない欧米文化の時代へと変わると繊維産業は衰退していった。
我々の年代の親は、電化製品を買いあさった。それが一巡すると、今度は車や家の購入に変わり、海外旅行やブランド品を買いあさった。余裕のある家庭であれば、着物に憧れを抱いた年代の女性は、着物にも興味を示し、着物業にとって景気の良い時代があった。ただ、購入はしてくださったが、着物を毎日着用してくれた方はごく一部にすぎなかった。だから、タンス在庫が何兆円にも膨れ上がってしまった。
常着として着る紬などは、各産地で手染めや手織りした品であったり、作家が手描で作った一品物だったりする。そんな品を譲り受けた子ども達が、その品の良さを知らず、捨ててしまったり、古着屋に安価で販売したりしている。レンタルでも、まだ着用していただければ有難い。処分されていく着物のことを思うと悲しい。
これからの着物は、民芸品の一種として残っていくしかないのだろうか?いつかテレビ映像で、『こんな時代がありました』と今の時代劇のように出てくる品になってしまうのだろうか?

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第929号 2018年8月13日「猛暑」

929今年の夏は、特別の猛暑だ。8月3日には、名古屋でも40.3℃の最高気温を示した。
店は、冷房が効いているから寒いくらいだが、日中、外はさぞかし厳しいことだろう。来客や電話も少ない。仕方がない。
私が日中やることといえば、HPのチェック、ブログ・LINE・facebook の投稿や広告の原稿作り。店に籠(こも)って同じことをしているわけで、HPについては、もう直すところも無い。楽天ニュースを見たりして1日をつぶす。
それにしても、最近のスポーツ界のニュースはひどい。レスリング、アメフト、今度はボクシング。東京オリンピックは、まだ2年先だから、今のうちに正常に直さないと金メダルどころではない。
『スポーツマンシップに則(のっと)り』 と言うが、選手たちにとって、コーチや監督の命令は絶対的で、決して逆らうことはできないものなのだろうか?『やってはいけない』という精神は、幼い頃は親から教わり、成長の過程で周囲からも学んできたはずだと思うのだ。
ルール違反スレスレのプレーをしても、見つからなければいい。もっと言うなら、見つからないように違反をしても、勝てばいいというのか?こんな人たちには、『健全な精神のもとで』 という根本精神などない。ただの悲しい戦いをしているに過ぎない。
そもそも、思い返してみると、最近のスポーツ界の不祥事というのは、大相撲から始まったように思う。あの時の結末も、何か後味が悪かった。個人的な意見だが、貴乃花の幕引きは清々しかった。以前にも増してファンになった。その後のスポーツのゴタゴタは、いつまでも続く迷路のようで、バカバカしいとさえ思う。
暑い日が続きますね。どちらも、もうこれ以上続かないようにと願います。

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第928号 2018年7月20日「隙間(すきま)商法」

毎年、今頃(6~7月)になると、友の会会員へテレアポをしている。昔のように訪問が出来ないから、せめて電話くらいはと思い、ご機嫌伺いがてら、お値打ち品のご案内などをしている。
昨年と今年は、テレビでもよく宣伝している『洗える羽毛ふとん』を2枚セットにして9,980円(税抜)で販売した。よく売れた。昨年もだったが、今年も6月20日には完売してしまい、その後は、『ひんやり敷きパッド』を宣伝している。
キャンペーン品の選別は難しい。まず、商品が無い。いくら良くてお値打ちでも、商品が無ければお客様への提案もできない。日々、商品探しをしている。現在の日本人は裕福だから、たいていの人は、必要なものは何でも持っている。だから、ますます難しい。
『隙間(すきま))商法』と言われるものがある。手作業の品は、人件費が高額になる。着物でいうなら、昔の日本人は、身長も低く裄も短かくてよかった。近頃、古着が流行っているが、古い品ほど身丈や裄が短い。その分、単価も安くなるし、常着として楽しむなら裄は短いほうが、袖もジャマにならなくてよい。最近は、遊び着として若者がよく着用するようになった。私も普段着物を着ているが、毎日着るのであれば、裄は短いほうが楽だ。加えて天然繊維を着たほうが、肌のためには良い。
箪笥(たんす)在庫が、日本全体で40兆円あるそうだ。箪笥の中で眠らせておくと、劣化して生地自体がガザガザになり、使い物にならなくなってしまう。その前に出てくると良いのだが・・・。絹は高額だが、着物を知らない(必要としない)人たちは安価でも手放す。だが、そのことを知っていて再利用するなら、まだ数十年は着物を楽しめる。毎日着用している人にとっては有難い。戦後、着物は米や食料に変わった時代があった。これからの時代は、着物愛好家にとっては、とても良い時代かもしれない。

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第927号 2018年6月22日「おつづきいかがですか? No.13」

2020年の東京オリンピックが決まった頃、外国人観光客は2000万人にも満たなかった。現在は、4000万人を目標としているそうだ。
外国人向けのキャッチフレーズで日本人にも受けた言葉といえば、『お・も・て・な・し』。お客様を接待し、喜ばせることを意味する言葉だ。お茶の作法などは、まさにおもてなしの心が込められた日本が誇る伝統文化だ。その日の来客者のために掛け軸や茶花を飾り、茶菓子や懐石料理を振る舞い、会話を楽しむ。
お稽古(けいこ)事は、『守(しゅ)・破(は)・離(り)』だというが、先生の『真似』をすることで覚え、最終は『心』の領域までたどり着き、そこで初めて先生から離れる、とか・・・。それこそ、その道を極(きわ)めるということなのだ。お茶でいうなら、『おいしゅうございました』なのだろうか?
我々のする手習いは、それこそ、ここから角までは何歩で歩いて・・・なのだが、そんな話を毎回お茶を出しながら、着物のことやら、日本の作法のことやら教えてくださったお客様がいた。もちろん、その方は、毎日着物姿で、道具などは使用せず、昔からの肌着や小物を着用されていた。『あなたはまったく美味しそうにお茶を飲んでくれるから・・・』と、毎回二服(二杯)出してくれた。
懐かしい言葉です。『おつづきいかがですか?』

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第926号 2018年5月22日「着物のこと No.12」

このたびの園遊会では、絞りの振袖が良かった。そして多かった。絞りで有名な名古屋のメーカーの品だそうだが、やはりテレビに映れば宣伝にもなる。業界の者なら、一目でどこのメーカーの品だとわかる振袖だった。
5月ともなれば、再来年の新作BOOKに掲載する振袖の柄選びも本格化。問屋さんも、一枚でも多く選んでもらえるよう、メーカーとの折衝の中で、良い柄選び、そして、少しでもお値打ちな価格で仕入れできるよう奔走している。
4月の選品会では、総絞りの振袖が良かった。昔からのイメージでは、この値段でこれだけの品がよく出来上がってくるなぁ・・・という感じだ。我々の業界も、これまでの商いの流れで、よい慣習は作られてこなかった。特に力のあるお店ほど、マネキン主体の押し売りや囲い込み、ローン販売に重ね売り。強引な商いをする業界に成り下がった。もちろん、きちんとした商いをされているお店のほうが多いとは思うのだが、業界紙を賑わせたお店ほど、たくさんの店舗を持つ大手であることが悲しい。
さて、この時季に着用するのは、正絹では単衣(ひとえ)、普段着なら紬がオシャレだ。若者の間では、ポリエステル繊維の品が、都会でよく売れているという。そして、それらを扱う専門店も出店している。石油製品だから暑いかもしれないが、まだ今くらいの時季なら、とてもいいのかもしれない。着物をオシャレ着として楽しんでいただき、年齢を重ねたら、もう一段階レベルアップして、日本古来からの伝統や民芸品に目覚めてくれたら嬉しい。夏物なら木綿から絹紅梅(きぬこうばい)、上布等、現在残っている産地を我々の世代が守っていかなくてはいけない。
まずは着物好きを増やそう!

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第925号 2018年4月25日「小学生の卒業袴姿」

925最近、小学生の卒業式でも、男女ともに着物姿の子どもたちを多く見かけるようになりました。
その子たちに着物を着てもらおうと、女児なら二尺袖着物、袴にヘア、メイク、着付、さらに写真までつけて安価で提供するお店も出てきました。当店では、大学生と同じ料金で出していましたが、安価なお店に対抗すべく、小学生をターゲットにした価格の見直しを始めたところです。
美容院の先生に話を伺うと、こだわりを持った親御さんは、スマホで写真まで見せて、そのヘアースタイルにしてほしいと注文してくるとのこと。でも、子どもの髪は、カールさせてもすぐ元に戻ってしまい、セットが難しいのだそうです。そういえば、私のように60才も過ぎると、髪の毛自体が細くなり、コシもなくなってきて、伸びてくるとすぐ寝てしまう。シャキッとしているのは短いうちだけ。(ちなみに私の頭はスポーツ刈りです。)若い子たちの髪は元気なのですね。ところが、お母さんにはそういうことがわからない。『手抜きだ!』とクレームをつけてくるのだそうです。
撮影も同じように難しいようです。特に小さい子どもほど、じっとしていない。着物に慣れていないから、まず着せることが大変。ようやく撮影にこじつけたと思ったら、今度はぐずりだす。ポーズをつけるというよりも、可愛いしぐさを狙って写すか、または時間をかけて根気よく撮影するか・・・。記念に残る品だから、こちらもいい加減な仕事は出来ません。
なかなか安価で子どもの着物姿を写真に残すのは難しいようです。ひとこと『ヘアー、写真撮影はお任せになります。特別な場合は別料金をいただきます。』と書き加えることで、難しいお客様対応をするしかないのかな?と思っています。

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第924号 2018年3月26日「体感」

普段何気なく使っているものの中にも、日本らしさを感じるものはたくさんある。例えば、茶碗や湯飲み。カップには取っ手が付いているが、これらには無い。器に直接触れて、その熱かったり冷たかったりの体感温度で、よりおいしく感じることもある。
四季の器は、その見た目で料理を美味しく見せる効果があるが、料理の温度も和食のポイントのひとつだ。温かくて美味しい、冷たくて美味しい、と無意識に口から出てしまう。視覚、嗅覚、味覚と同じように、体で感じる感覚は、触れることで反応する。
暑い夏は、サラッとした麻の繊維を好み、寒い冬は、暖かい毛布や柔らかなムートンのシーツなどを利用する。季節にあわせた素材を選ぶことにより、温度調整はもちろんのこと、体に感じる温度も違ってくる。
暑さをしのぐのに、今はエアコンがあるが、昔は団扇(うちわ)で扇(あお)ぐくらいしかなかった。扇いだところで、夏はやはり暑い。扇いでもらえば多少は涼しいが、日本人は涼しさを感じるように工夫をして、それを楽しんだ。風鈴、流しそうめん、すだれ、扇子、麻のシーツ、水の流れる音を聞いたり爽やかな風にあたる。
着物用語で『風合い』という言葉がある。触れた時の感触が、『優しく』『やわらかく』『サラッと』『あたたかく』という感じを抱く言葉だと思う。天然繊維なら、特にそう感じるだろう。
以前、日本人は『おんぶ』や『抱っこ』が一番上手な民族だという話を聞いたことがある。子育てには、スキンシップが一番必要なことだと思う。温もりは、一生涯忘れない親の愛情だ。

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第923号 2018年2月14日「着物のこと No.11」

20年も30年も前のものとなると、大抵の物はまず利用しません。機械物なら、動かないかもしれません。洋服で20年後も利用できるのは、サイズが変わっていなければ礼服くらいでしょうか?でも、着物は利用できます。理由は直線縫いだからです。何度でも寸法を変更できます。だから昔は親の着たお古を子どもに、子どもの物を幼児に作り直しました。
衣食住と言いますが、衣は、寒さや暑さをしのぐ為にどうしても必要なものでした。現代のように石油製品はありませんし、綿も絹も中国からの輸入品でした。その後、日本に綿の種子が渡来します。戦国時代以降、安価で作れる綿は、すぐ全国に広がりました。徳川幕府になり戦争がなくなると、米などの作物を安定的に作れるようになりました。戦国時代からの人口の増加は、綿の衣装のお陰もあります。
我々の知る歴史は、公家、武家、寺家の話であって、圧倒的多数の農民の生活は、あまりにも粗末で書物に残せるものではなかったのかもしれません。江戸、明治と庶民は豊かになっていきます。着る物も、何枚も持てるようになりました。直線縫いの作りは、洋服と違い着用しにくいものですが、作り直しが出来るという点では便利なものでした。

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