第950号 2020年5月19日「新型コロナウェーブ No.3」
着物業界でも、新型コロナウイルスによる被害が出始めた。全国にチェーン店を持つ古着専門店や、東海地区でレンタル店や結婚式場を経営していたお店。両店ともたくさんの従業員を抱えて、一時はどんどん店を大きくされていたが、新型コロナウイルスは、そんな店をも食い潰した。
我が振袖21グループの加盟店では、中堅のお店は4月中旬からゴールデンウィーク明けまで休業にしたそうだ。我が店でも、ゴールデンウィーク期間中は営業したものの、営業時間を短縮したり、平日の休みを増やしたりして対応した。
店を開けていても、来るのは『ガーゼ』や『さらし』を求めるお客様ばかり。マスクが市場にないから、皆さんご自分で作るのだろう。創業97年の店だからこそ、そのようなお客様があるのだと感謝する。この品々も、名古屋中の問屋をあたってみたが無かった。たまたま以前取引のあったメーカーに問い合わせて、やっと手に入れたのだ。値段は、1か月前と比べるとやはり高くなっていた。
品薄だったトイレットペーパーも落ち着きを取り戻して、もう店頭に並ぶようになった。世界中が大パニック。いつまで続くのか?まったく先が見えない。
皆様には、くれぐれもお体をいたわり、新型コロナウイルスに感染しないようお気をつけください。
第949号 2020年4月20日「新型コロナウェーブ No.2」
例年、3月の下旬ともなると、花見が最高潮の時季だ。しかし、今年は、何もかもが自粛自粛で、人の集まる場所に行くことができなかった。春の花は生き生きとしていて、桜の下で一杯やるのも男どもの楽しみのひとつなのだが、今年はそれも出来なかった。
大相撲やバスケ等のスポーツも、無観客で行っていた。感染者が増え、東京オリンピックも1年延期になった。外国人観光客が、どれだけ日本に経済効果をもたらしていたのかを、テレビでは盛んに報道していたが、確かにその通りで、消費が落ち込むと、特に余裕のない我々のような中小企業は生活が成り立たなくなってしまう。
オリンピックも、世界の現状を考えればやれるはずがない。だが、決断できなかったのは、やめれば景気がより悪くなることが解っていたからだろう。聖火リレーも延期となり、すでに日本に来ていた聖火は、1年間厳重に保管されるのだそうだ。
あとからなんて、誰でも何とでも言える。『その時』どうしたらいいか?決断することは難しい。歴史に残る大事件になってしまった。
第948号 2020年3月21日「新型コロナウェーブ」
新型コロナウイルスの感染が中国から始まり、いつの間にか3ヵ月が経過した。IOTがこれだけ発達し『人間はどんなことでもできる』などどいう夢を見ていたが、現実はいとも簡単にウイルス感染していく。
初めは、世界中の誰もが、こんなにも感染拡大するとは考えていなかっただろうし、治療薬もすぐ出来るだろうと予測していたに違いない。日本が、中国・ヨーロッパ・アメリカと違う点は、感染速度が少し遅いということ。3月中旬、日ごとに感染者数がどっと増え、あちこちの国で外出禁止令が出された。テレビを見ていても、これだけ感染者が出ているのに、海外の人たちは、マスクもしていない。対応が遅かったのか?未だにクラスターがわからないから対応のしようがない。家から出ないでスマホやテレビで時間を潰す。といっても、食料品がなくなれば購入しなくては生きていかれない。どこの国でもトイレットペーパーやマスクが在庫切れしているのだろうか?
『コロナショック』とでも名付けられるのだろうが、現在の状況を見ると、『新型コロナウェーブ』だ。病原菌が高笑いをして自由に飛び回っている状態だからだ。
拡散させないように、まずは学校を休校に。スポーツジムには行くな!デイサービスも閉鎖。対応がすべて後手となっている。でも、日本では、これが効いているのか、海外に比べると感染者の増大を抑えている。しかし、関係する業者にとっては困った対応策だ。我が着物業界でも、卒業式袴のキャンセルで被害を被(こうむ)った。終息が見えないから、あらゆる人が困る…どうなるのだろう?
第947号 2020年1月22日「50年が過ぎて」
着物販売に携わって50年になる。丁稚奉公に行き、帰ってきたのが25歳だった。『お前は、3年も奉公に行っていたのだから、何でも知っているはずだ』と、すぐに仕入係をやらされた。奉公先で仕入係をやっていたわけでもなく、正直屋に帰ってきても、自分の客はひとりもいない。そんな一年生に仕入を任せなくてはならない程の店だったということか?ただ、幸いなことに、番頭がいてくれたので、順次商品を覚えていくことができた。
仕入をするにあたって、(私のいた)関西で売れる商品と我が店で売れる商品の違いに驚かされた。自分が仕入れてきた商品は、どれも売れない。仕方なく番頭の選んだ品を仕入れた。1年間は同じ店で働いたが、2年目からは、新たに作った支店に彼らは移っていった。仕入は同伴してくれても、他のことは自分でしなくてはならない。番頭夫婦も、新規の店で必死に働いた。
だから、当時の問屋の係りの方々には、ずい分迷惑をかけた。安く仕入れなくては、安く販売できない。無茶苦茶な値段をつけたり、売れる色・柄もわからない仕入方なのだから・・・振り返ってみれば、反省することばかりだ。
『お前は息子だから』と、広告の担当、求人の担当、新人教育の担当、与えられる仕事は、すべてやったことのないことばかりだった。失敗続きでも、少しずつ理解して、こなしていった。番頭のお客様を譲り受け、売り上げは多少できても満足するような商いではなかったが、自分のお客様が少しずつ増えることにやりがいを感じた。その番頭たちも、13年前に定年退職した。
着物業界も、20年位前から激変の時を迎えていた。店も2店舗になった。社長になって21年、厳しい日々は相変わらずだ。17年前に緑内障になって車の運転ができなくなり、仕入の柄選びの楽しみも失った。現在は、自分の子どもくらいの年齢の女性から『叱られたり』『教えられたり』しながら自分の出来る仕事だけをやっている。
『従業員は我が子と思え!』という話を伺った。これまで退社していった従業員の中には、一生懸命仕事をしてくれた人はたくさんいたと思うが、そんな気持ちになったことはなかった。申し訳なく思う。
第946号 2020年1月4日「謹賀新年」
第945号 2019年12月25日「こだわりの逸品」
『こだわりの逸品』というタイトルで、振袖21グループで逸品振袖を取り扱うことになりました。ここ数年の振袖の動向は、レンタルが多くなり、最近ではママ振のお客様も多くなりました。そんな現状の中、逸品振袖を販売するのです。
振袖表生地価格が100万円以上の手描き、絞り、箔使いの品や作家物の品を全国から集め、提案しようというわけです。昔はデパートや有名専門店でしか扱われていなかった高額な振袖が正直屋で売れるか?という不安もありますが、グループでメーカーや問屋さんに無理を言って集めていただいた品々です。一品物なので、売れたら終わり。また良品で安価な品を探して、提案していきたいと考えています。
振袖の他に、もちろん袋帯や長襦袢も提案します。私の場合、50年この商いに携わってきたので、振袖もいろいろな産地の逸品を見てきました。袋帯もしかりで、昔ほど生産はしてはいないものの、あのメーカーのあの商品を、と問屋さんに話し、探していただくわけです。
そんな商品を探しておられるお客様は、たくさんいらっしゃると思うのです。なぜなら、『和』のブームでテレビや雑誌等でも紹介されているからです。伝統的工芸品と言われる品々を見て、その品に触れ、袖を通したら『たまらない』。日本人に生まれてよかった・・・和服にはそんな魅力があります。まずはDMやホームページで、ぜひチェックしてみてください。
店では、アフターフォローもきちんとできるよう、この夏に二度ほど悉皆(しっかい)屋の研修もしてまいりました。まだまだ奥が深いと思います。いろいろな商品のチェック、しみ抜き、焼直し、箔直し他、続けて勉強していきたいと思います。ぜひご用命くださいませ。
第944号 2019年11月20日「柄染め」
別誂え染めで一風を成した京都のH社が廃業し、それを受け継いで見本帳を流し、商いを続けてきた店が、令和1年末をもって柄染めをやめるとのこと。悉皆業で中小の呉服店は商いを続けている。その商いの中で、結び糸の販売から柄染に至る商い、また柄染の染替えの商いは、大きな売り上げの主たるものだ。
最近は、洗い張りから仕立直しをされるお客様もわずかになった。毎日着物を着用するような方は、大好きな柄の着物や、親や友人から譲り受けた思い入れのある着物を作り直しては楽しんでいる。それは着用者にとってはかけがえのない一枚なのだが、そんな楽しみを抱く人たちも少なくなった。それよりも、母の遺した着物を高く買ってくれる業者はいないか?と尋ねられることのほうが多くなった。悲しい話だ。
年配の方からかかる電話は、現在生産されていない商品のことばかり。たまに現物があって、その値段を示すと、時代背景のズレた値段を言ってくるから話にならない。そして、そんな方は、また2~3年すると同じ電話をかけてくる。
昔は、良い品がたくさんあった。そして、業者は喜んで物作りをしていた。生産して、それを喜んでくれるお客様の元に届き、楽しんで着用してくれるのだから、やはり嬉しい。そんな商品が、現在は古物商によって何百円で取引されている。
先日テレビで、中小企業は昨年46,000社が廃業したという報道があったが、我が業界の廃業も、その中に多数含まれていると思う。年老いたからという理由からのリタイアではない・・・愚痴を言っても始まらない。現在の日本は、そんな風なのだから。
さて、着物好きが着物を探す一案として、やはり着物好きの業者を探すことだ。古着の中から着られる品を探し出し、今の古着屋とは違った商いをされる店(どこかにあると思うが・・・)、よほどの目利きがそんな品を集めたら、楽しい商いになるだろう。古着でも結城、本場大島、紅型染、黄八丈、塩沢紬、小千谷紬、久米島紬、加賀友禅、有松絞りの専門店。考えただけでワクワクする。
第943号 2019年10月29日「ちょっとおかしい!」
売れない商品が市場から消えていくのは仕方のないことだ。着物業界でも、これまで大量の商品が消えていった。特にウール製のものは、カジュアル品であるということと、日常洋服の生活が主になったことで、購入される人が少なくなった。昔は、小学生から高校生くらいまでの女の子は、正月にウールアンサンブルを着用して神社にお参りに行くというのが定番だった。その姿は可愛かったのに、今はあまり見かけない。
七五三参りを終えると、次は成人式まで着物には縁のない生活となる。関西では、十三参りで着用される地域もあるが、全国的に見れば、その数は少ない。
成年年齢が18才に引き下げられることにより、成人式が18才になるという話が出た。18才で行うのか、それとも20才で行うのか、各自治体の判断に任されているが、20才で行うと表明している自治体はまだ少ない。東京・大阪等の大都市はどうするのか?国や県・市から助成金をもらっている着物業界の組合等も、18才で行うことに対して積極的に反対の声を上げていない。では、全国展開している振袖チェーン店は?これらの動向を見守っていくしかない。
元に戻るが、先日、男モス長襦袢の注文があった。在庫が1反だけあった。正絹の無地単衣帯の赤と白が欲しいという注文もあった。いずれも1本ずつあった。追加でもう1本、赤が欲しいと言われ、たまたま支店に1本あった。問屋やメーカーに問い合わせてみると、モスも単衣帯の赤も生産を止めたという。在庫もないという。
時代の流れだから仕方のない話だが、幸い現在はITの時代。呉服屋が持っている在庫や、お客様のタンス在庫をチェックすれば、日本には大量の在庫が眠っているはずだ。それをデータ管理して活用すれば、ムダに廃棄処分されたりすることもなくなるのではないだろうか。特に絹(シルク)は色々なものに変えて利用できる可能性があり、考えようによっては、膨大な宝になるかも?夢物語かもしれないが・・・大切な資産だと思う。
第942号 2019年9月24日「ホームページについて」
ホームページの見直しをしたら、思った以上に間違いが見つかり、今、必死に直している。これまで練りに練って作ってきた『作品』だから、きちんと作られていると自分では思い込んでいた。しかし、読み返してみると、当時はそうだと思っていたことが実は間違いだった、ということが多くビックリしている。
これでは、検索してもトップページに掲載されるわけがない。直したところでどうなるものでもないが、多少は上がって欲しいと願うだけだ。
思えば、ホームページを始めたのは平成12年だから、もう20年近くになる。ホームページを作ってくれる人はいろいろと代わったが、文章を考えるのは私だから、『まあこんなものだろう』としか言えない。アクセス数を上げるために、それを得意とする会社にお願いしたこともあったが、もう今更そんな手法は使いたくない。どうやったら振袖チェーン店に対抗できるか?自分流で対応するしかない。
幸い若い子たちが、時代ボケした自分の間違いを指摘してくれるので、文章も直しながら続けている。振袖21グループでも、今年は、意見を言ってくれる若い人たちが増えた。案内状もホームページも、10月以降の変化が楽しみです。
間違っても直せばいいのだから、どんどん進みたい。着物業界の5年後は語られない。私の今までの体感から、そう考える。しかし、進んでいる会社・グループであれば、動くことでそれがわかると思うのだ。
第941号 2019年8月26日「着物について」
10月から消費税が10%になる。またしても、その場しのぎの還元セール(プレミアムセール)で商品券の安価販売をする。残念ながら、その商品券を手に入れた方の中で、着物を購入される方は少ないと思われる。消費税が上がる前に買っておこうという動きは、以前ほどは見られない。今夏のゆかたの販売も低調だった。
2020年の東京オリンピックに向けて、『和』に対する関心は日ごとに高まっているように流通誌では語られている。しかし、昭和55年頃には1兆6000億円あった売上が、現在は2600億円まで落ち込んでいることを体感している私のような世代の者にとっては、いくら良いと言われても絵空事(えそらごと)のようにしか聞こえない。だいたい、この状況を作ったのは昭和10年~30年代生まれの我々なのだから仕方がない。
終戦後、衣食住あらゆるものが洋風化し、徐々にその弊害が表面化した。そして再び、古き良き時代の『和』のものが見直されている。失敗から学ばなければ成長しない。この何十年、日本人はそんなことを繰り返してきた。
もちろん洋風文化も良い点はたくさんある。それも踏まえて前進してきたわけだが、近頃、妙に昔を思い出すことが多くなったのは年を取ったせいか?自分の生きてきた約70年間は、女房の世話になることばかりではあったが、『良き人生』だという思いも強い。特に、昭和の時代はよく遊べた。よく儲かった。日本全体がそうだった。それが平成10年以降は、問屋さんもメーカーもバタバタと倒産した。閉店する着物屋も多く出た。
今後、日本人の生活がどう変化し、その中で着物がどう残されていくのか?着物を文字の如く『着る物』とするなら、『着用する物』として残したい。そう思う。