第681号 2012年12月4日「エアコン交換」
本店の空調機が壊れた。平成9年に取り付けた機械だから、15年使用したことになる。5年前に一度修理はしたものの、『よく保ったがね!』と言われた。
ここ数年、機械のご機嫌をうかがって使用してきた。暑い日も冷やしすぎず、寒い時も暖め過ぎず・・・。しかし、今度ばかりは中も外も交換しなくてはいけないようだ。大出費だ。今ごろは、成人式用の振袖やその販売促進費用(DM印刷代および郵送料・HP管理費、等々)など、ほかにも何かと出費の多い時期だ。
成人式当日は、70名ほどのヘアメイク・着付を店内でしなくてはならず、エアコンが故障していては仕事にならないので、機械の交換をしてもらうことにした。現在付いている機械を取り外してフロンガスを抜き、新しいものを備え付けるというものだ。大掛かりな工事になりそうなので、営業日にかかっては困ると思っていたが、何とか一日で終わりそうだ。
年末の慌しい時期にもかかわらず来店してくださるお客様にはご迷惑をお掛けします。
第680号 2012年11月30日「神様の言う通り」
第679号 2012年11月24日「変わり目」
以前にも書いたが、小学5年生の時にやっと泳げるようになった。それまでは、水が怖かった。何でも、一度できるようになると、それからはできるのが当たり前になるものだ。自転車もそうだ。何日も練習して乗れるようになった。小学低学年の頃は、竹でできたのぼり棒に登ることもできなかった。鉄棒では、逆上がりがダメだった。中学1年生の時は、懸垂(けんすい)が一度もできなくて、先輩に、『練習中ずっと鉄棒にぶら下がっとけ!』と言われた。しかし、一週間もぶら下がっていると、次第に筋肉も発達するのか?できるようになった。先輩もおだてるのが上手かった。だんだんスポーツが好きになった。やらず嫌いだったのかもしれない。
食べ物も、子どもの頃は好き嫌いが多かった。煮魚・とろろ・納豆・トマトジュース・炊き込みご飯等々、小学5年生までは嫌いなおかずの時は、祖母に頼んで玉子焼きを作ってもらっていた。それを父に見つかり、ひどく叱られ、それ以後は出されたおかずを食べるしかなかった。お陰で、現在は出されたものは何でも食べられるようになった。
わがままな性格は、今でも変わらない。だが、小学5年生という年は、今から考えると変わり目の年だった。
第678号 2012年11月21日「新作振袖パンフ」
振袖のパンフレットは毎月郵送させていただいていますが、やっと振袖21グループの平成26年度第一弾が完成し、送ったところです。今回は、古典中心のパンフですが、一年がかりで商品チェックをして制作したものなので、オリジナル性の高い、他店にはない振袖ばかりと自負しております。来年早々には、もう一冊、可愛い系パンフを送る予定です。
これとは別に、当店だけのオリジナルパンフも制作しており、これには、グループ柄の他に、当店と取引をしている問屋さんでも地区限定で販売しているという商品をいろいろ掲載しています。大島優子・トリンドル玲奈・菜々緒・野崎萌香・荒井萌、等のブランド振袖です。可愛い新作のお披露目になります。12月1日発行の情報誌『月刊なごや』でも大島優子の振袖を宣伝しましたが、今後は新しいモデルも続々追加していきたいと思います。
名古屋で、『ブランド振袖は正直屋』と言われる店にしたいと考えています。ぜひ、ご来店いただき、試着してくださると嬉しいですね。
第677号 2012年11月16日「朝焼け」
現在の名古屋の日の出は午前6時30分頃、ちょうどラジオ体操の始まる時間です。まだ薄暗い中を起きて、鶴舞公園に出掛けています。急に寒くなってきたので、重装備の服装に替えました。『これなら、雪が降っても風が吹いても寒くないぞー』とばかりに歩きに出ます。明るくなるのが遅くなってきたので、暗がりの中を出掛けるには足元が恐く、そろそろラジオ体操には参加できなくなります。毎日あいさつをしている方々との暫しのお別れが近づいています。しかし、元気なお年寄りの多いこと。毎日来られている方は、ラジオ体操の歌も大きな声で歌います。私も、できるだけ元気良く歌いたいと思っています。
朝は気持ちが良い。そんなわけで、振袖パンフの裏表紙も、前回から朝焼けの写真を使用しています。昨日は嫌なことの多い一日だったけど、今日はいい日だ!元気が一番!楽しく愉快で健康で!今、身体はちょっと不健康な私も、大声で体操の歌を歌って一日を始めます。新しい朝が来た~♪
第676号 2012年11月9日「昔の話-私のこと 番外編」
基本は同じだと思うが、30年前の営業と今とでは明らかに違うところがある。
これは正直屋に限ったことだが、以前は毎日、車で外販に出掛けていた。主に友の会の集金だが、集金をしながらの御用聞きである。毎月伺うお客様宅は、何か着物を着用する趣味や仕事を持った方が多く、そのほかでは婚礼の仕度だった。現在は、持参されない方やレンタルの方も多くなった。
どうしても着物を着用しなくてはいけない時の判断が、昔とはずい分違ってきた。もう一つ前の30年前と比べると、戦後間もない頃のことになるので、物々交換という時代になるが、そのもう一つ前、つまり90年前と比べるなら、日本人のほとんどが着物を普通に着ていた時代になるわけだ。時代の移り変わりとは妖しいものだ。当たり前のことが当たり前でなくなる。車のエアコンも、30年前はエアコンの付いていない車も珍しくなかったが、現在では付いていないなんて考えられない。
商いの話に戻るが、私たちはお客様宅に足を運んで認めてもらった時代だった。正直屋の場合、立地条件が悪かったから外販が主だったのだが、外回りなどしたことがないという商店街にあるお店の話も聞いたことがある。今はどうか?外回りをするだけの人数を確保できていない。会話ができない。どんな質問にも対応できる商品知識がない・・・自然と店にいる時間が長くなる。
どんな方法で、商いをしたらいいのだろう。DMか?ホームページか?テレビ、新聞、情報誌等で宣伝をすることで店を知っていただき、来店願うしかないのだろうか?
我が母の口ぐせではないが、『難しい 難しい』です。
第675号 2012年11月6日「昔の話-私のこと No.30」
厳しい毎日だったが、ホームページのおかげで、少しずつDM請求や商品の問い合わせが来るようになった。だが、遠方のお客様の購入はなかった。
平成19年11月に、茨城のお客様から振袖の問い合わせがあった。きっと購入はされないだろうなと思いながらも、暇も手伝って詳しく説明させていただいた。二日後、同じ方から再度電話があり、購入したいとのお話。『えっ、本当ですか!?』と思わず言ってしまいそうになるくらいの驚きだった。それまでは、遠方の方はひやかしばかりだった。光通信といえども、長電話はイヤだった。思いがけず売上が出来てしまい、その後の対応は、より一層丁寧になった。
倖田來未ブランド振袖の問い合わせの時には、『今日、その柄、試着してきました。』と言われたお客様があった。普通は、試着したその店で購入すると思うのだが、対応がまずかったのだろうか、当店で購入された。
ネットでの販売は難しい。洋服と違って着物は、重ね衿・帯締め・帯揚げ・草履・バッグ等、合わせるものが多い。センスの良いお客様は、自分のイメージに合う商品が見つかるまで妥協されない。何度もメールや電話でやりとりして決定していくのだ。
それにしても、高額な和服も、全国各地のきもの屋のホームページをチェックして買う時代なのだ。時代は変わったと改めて実感した。
第674号 2012年11月2日「昔の話-私のこと No.29」
結局、今度も猪子石店の立て直しは出来なかった。店を閉めるつもりで売りに出したが、駐車場スペースが小さい、店の作りが他業種に向かないなどの理由で売れない。そんなわけで、『店じまい』セールはするものの、ダラダラと営業し続けるしかなかった。
少人数で営業していたら、今度は女性店長が横領した。それを見つけた従業員にも迷惑をかけたが、紹介者との縁も切れてしまった。もう滅茶苦茶だった。
平成17年に閉店して駐車場にしてあった日比野店を売却した。もう、そうするしかなかった。閉店した時、電話回線は本店に転送されるようにしておいたので、一年以上、お客様の対応は本店でやれていた。すべてのお客様にご迷惑がかからないようにしたかった。友の会は財務省の許可のもとで継続しており、未だに積み立てを続けておられるお客様もある。出来る限り本店にてフォローしていきたい。
第673号 2012年10月30日「お宝発見」
正直屋では、秋になると毎週のように、どこかの店で写真撮りをしています。お客様に浸透してきたのか、従業員の説明の徹底で理解されるようになったのか、近ごろになって、やっと家族写真も撮られるご家族が多くなりました。一生の記念になり、とても良い機会だと思います。ついでに、皆さんが着物を着てくださるともっと嬉しいのですが、なかなかそこまでは難しいようです。
『今回もそんな前撮りになるのかな』と思っていましたら、急きょ、ご両親も着用するということで、前日の夜に着物を持参されたご家族がありました。大半の方がそうであるように、『前回いつ着たのか覚えていない。小物も何が必要なのかわからない。まあ、いいや。全部持っていって調べてもらおう。』という具合かな?着物ケース3箱を女房が1点ずつチェック。足らない小物が数点、余った小物と・・・大物!お客様ご自身も知らなかった、お祖母様が作ってくれた本場大島紬だ!お宝発見だ!昨日まで全く知らなかった品だった。きっと、お祖母様が内緒で作って、婚礼の荷物の中にそっと入れておいてくれたのでしょう。今ごろになっての感謝でした。
このご家族は、ご主人も含めて全員が着物姿で撮影されました。本当に嬉しい記念撮影となりました。ご了解をいただければ、近々、幸せ家族の姿を公開したいと思います。
第672号 2012年10月26日「昔の話-私のこと No.28」
何とか猪子石店を立て直そうと、パートを3人増やし、私を含め5人体制で再建してきたが、要は中年女性ばかり。おしゃべりはうまいが、(※)予想屋、宣伝屋、チンドン屋、郵便屋、隠居屋と私では商いではない。遊ぶばかりの仲良し軍団、利益など上がりっこない。固定客は少なくなる一方。DMが悪いからだと非難するが、自分たちは動かない。そして、『今度は絶対売れるから!』と言う。展示会が始まっても客は来ない。3年間続けたが、悪くなる一方だった。振袖中心の店にして、DMを作りチラシを撒いても、3店舗で100枚も売れないでは儲かるどころか倒産にまっしぐらだ。
そんな頃、N問屋のSさんから振袖グループへの入会を勧められた。話を聞きに伺った。『DM作りも営業活動も私の言う通りにやってみなさい。絶対売れる店にしてやる!』と横浜のI小売店の社長に言われ、そのグループに入会することにした。言われる通りにした。『その言葉を信じて賭けるしかない、しがみつくだけだ。』そう思った。平成18年末のことだった。
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※予想屋:何事も惜しかったと連発するだけの人/宣伝屋:色々しゃべって空手で帰ってくる人/チンドン屋:カタログだけを見せて満足する人/郵便屋:入口まで行って帰ってくる人/隠居屋:やればできると言うだけでやらない人