きもの選びは友達探し、あなたの笑顔に癒される by かずまさ

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第793号 2014年2月28日「番頭 No.2」

793番頭が、ある時、『社長(私の親父)が、我々を信用して、仕入れをすべて任せてくれたから、我々も必死に働いたのだ。』と話してくれた。
以前にも書いたが、私はお祖母ちゃん子で、祖母が親父のことを悪く言うのをいろいろ聞かされていて、それを信じていた。職業軍人だったので、お客様に頭を下げることが出来なかったこと、養子となって跡を継いだものの、しばらくは、祖父が苦労したこと、等々。高校、大学と成長するにつれ、親父と接することもなくなっていった。
親父は、自分の店づくりのために、親戚兄弟から人を紹介してもらい、入社させ、育てていた。自分が出来ないことを彼らに教育して、やらせた。
ある時、祖父が育てた従業員たちが横領したことがわかり、すべて解雇した。それからは、若い番頭たちの時代が始まった。
当時は、従業員教育などをしている時間はなく、個々が独自に学んだ。お客様から教わったり、問屋さんから学んだ。
親父は、商いが出来ない代わりに、組合活動や同業者との付き合いから情報を集めた。M問屋のH氏とは、商いを抜きにしての親交も深く、公私にわたりお世話になった。私も、指導を受けた。昭和40年代、50年代のことだ。
私が、親父の本当の姿を知ったり、気づかされたのは、その後、ずいぶん経ってからのことだ。

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第792号 2014年2月25日「番頭」

10年前まで、店には、親父が育てた番頭夫婦が3組いて、商いも固定客が中心だった。
お客様には、『友の会』に入会していただき、日々、そのお客様たち廻りをしながらの外販と、展示会での販売が主だった。各店2台以上の車を保有し、近所のお客様宅には、自転車やバイクで伺った。すべての店の立地が悪く、その対策もあっての商いの方法だった。しかし、その商法で店を4店舗まで増やしたのだから、親父や番頭たちが、いかに働いたかということだ。
悪条件を克服するために、『友の会』を立ち上げて、外販をした。現在とは違い、ホームページもなく、テレアポもせず、総合呉服のDMしか発行していなかった。婚礼の準備のために着物を買い求めたり、普段から着物を着用している人もたくさんいた時代だ。
数は減ったものの、今でもそのような方たちはいると思うのだが、そういう方を満足させるには、相当の商品知識や『おもてなし』法が必要となってくる。番頭たちは、根っからの叩(たた)き上げで、いろいろなことを経験しながら習得していった。
どんな仕事でも同じだと思うのだが、その仕事で一流になるためには、その仕事に没頭する意気込みがなければ、なれるものではない。親父は、生前、『うちへ来る人に、一流なんかおらん。他人より長時間働いて、たとえ給料が安くても頑張れる人じゃないとやっていけん。』と言っていた。だが、果たしてそうか?その中に一人、二人、一流人が紛れ込んでいて、その人自身、もがき苦しみながら、他の人たちを良い方向へ導いてくれたからこそ、今があるのではないだろうか。
月に一度の合議制による店長会議、お客様を対象とした招待旅行、東海呉服組合を利用した展示会、自店で行った創業50周年祭など、今思い返してみると、良いものはいくつもあった。

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第791号 2014年2月21日「親父の教え No.8」

親父は、酒が好きだった。どちらかというと、量は普通より少し多いくらいだろう。初めは、弱い方の部類。しかし、なぜか酒が強い人だと広まり、飲む機会も多かった。
お中元、お歳暮の頃になると、何十本と届いた。ほとんど買わなくてもよかったくらい。面倒見が良かったからだ。
寝室にも置いてあった。夜中に、また一杯飲むのだ。冷酒でコップ酒だ。こぼすから、畳が酒臭かった。
飲めないなら、盃(さかずき)は、少し斜めにしてお酌(しゃく)してもらうとよい、とか、コップ酒にすると、大概、相手は恐れてお酌に来ない、とかの話を、親父の飲み仲間から聞いたことがある。
飲めないなりに、いろいろ工夫していた。つまみは、あまり食べていなかった。これは、大酒飲みのパターンだ。着物がよく売れた時代だったから、宴会が多く、そんな光景の写真もよく見た。
そんな親父だが、私には酒は飲むなと指導した。しかし、私もそれなりの年齢になると、飲む機会が増え、26歳から始めた酒が、初めは弱かったのが、少しずつ飲めるようになった。
酒では、いろいろ勉強した。しかし、酒があったから、腹を割って話ができる仲間もできた。そんな仲間たちと飲む機会も少なくなった。ちょっと懐かしく思う。

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第790号 2014年2月18日「洗い張り No.4」

留袖の洗い張りを引き受けた。
紋のついた着物の洗い張りは、『紋洗い』 と言って、洗った後、もう一度きれいに紋を書き直さなくてはいけない。預かった留袖をよくチェックしてみると、黒い生地の色も、ところどころヤケが入って変色している。悉皆(しっかい)業者に相談してみると、結構、直し代金がかかるという。『解(ほど)き』の作業は、すでに店で終わってしまっている。儲かる仕事ではない。いい勉強になった。
昔、同じように預かって、洗い張りをした着物の仕立てが悪いと、苦情を受けたことがある。いろいろ調べてみたら、寸法が違っていた。従業員の勉強不足に呆れ、お客様に謝罪した。すると、お客様は、『寸法はいい。仕立てが悪いのだ。』とおっしゃった。着用すると、衽(おくみ)の先が少しはねるのだ。しかし、これは着方にもよる。台の上に置き、寸法チェックをすると、お客様のサイズには合っていないが、きれいに縫ってある。身巾は、広いなりにきちんと作られている。仕立ての状態などを説明したうえで、もう一度、初めからやり直しをさせていただきたいと申し出た。だが、お客様は、寸法違いの話が理解できない。私の対応も悪かったのか、腹を立てて帰られた。
前の店長夫婦も、年数だけは長かった。最終的には、何でも答えられる人材に育っていなくてはいけなかった。だが、日々の勉強を怠っていた。基本がわかっていなかった。クレーム処理は難しい。

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第789号 2014年2月14日「オリンピック」

789ソチオリンピックが始まり、半分くらいが終わった。
テレビ観戦していると、期待の大きい人は、毎日のようにテレビに登場してくる。しかし、日本では知名度が低い競技もあり、そんな競技の選手は、取り上げられることも少ない。親戚や知人でもいれば応援するだろうが、テレビにも出ないまま終わってしまう。
戦いに、泣き笑いはつきもの。日本代表だから、世界でも一流かといえば、そんな選手ばかりではない。さらっとした前宣伝だった人が、メダルをもらえば嬉しいだろう。反対に、期待の大きな選手の成績が悪いと、本人も悔しい思いが残る。
オリンピックは、世界一を競う大会なのだから、負けるものが出ることは仕方のないことだ。日本代表になること自体が厳しい争いだったはずだが、世界のレベルに比べて、日本のレベルが低ければ、自然と『参加することに意義がある』側にまわるわけで、そういう人たちもいなければ、一番の人も栄えない。いっぱい悔しい思いをし、次回、良い成績が残せるよう努力すればいい。
トップ選手には、決まってトップコーチがついている。計算し尽くされた練習と、毎日の生活、身体のコントロールに精神面でのコントロール。すべてが揃った人間が、一流になれるのだ。
若いということは、いくらでもチャンスがあるということだが、そのチャンスに気づかないうちに一生を終えていくことの方が多いかな?
人生はドラマだ。

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第788号 2014年2月11日「神様の言う通り No.10」

悪いことばかり起こると、どうしても、人のせいにしたり、人を恨んだりする。人間形成ができていない証拠だ。
今日も、自分のことは棚に置いて、従業員を悪く言っている。人間が小さいから仕方がない。
『何で俺は、休みも取れずに働かないかんのだ!』
『あんな人材、おって何の役に立つんだ!』
『それでも、有給休暇だけは、一番忙しい時に取りやがって!』
『失敗ばかりで、損ばっかりだ!』
『何であんな人材、入社させたんだ!』
本人の前では言えない。中小企業の経営者たちは、どこも皆同じ。従業員に気を遣いながら、細々と生活している。儲かるどころの話ではない。
『また失敗しやがって。お前、自分で謝ってこい!』
『一人前になるまでに何年かかるんだ!』
『飯は遅いが、バカ話だけは長い!』
『お客さんのところへ行ったら、帰ってこえせん!』
『自分の給料分くらいは、儲けてくれよ!』
・・・
『さて、まあ ええだろう。そこまで言えば。』
神様が、頃合を見計らって、そっと囁いてくれる。
あまりに頭にくると、2日も3日も口を利かない。
でも、本人に言わなくてよかった・・・

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第787号 2014年2月7日「足袋」

90歳のおばあちゃんから、『ベッチンのエンジの足袋が欲しい。』と言われたお嫁さんが、当店に訪れた。
当然、店に在庫は無い。現在、店の人間で、そんな足袋があることを知っているのは、私と女房くらいだろう。
以前、小紋の生地を使用した、オシャレな別誂(あつら)えの足袋を作る、というキャンペーンをしたこともあった。白のネル裏の足袋すら知らない若い子たちに、そんな遠い過去の話をしても、通じるわけがない。
昔は、着物と同じように、足袋も四季に応じて替えたし、普段用、正装用、オシャレ用と履き替えては楽しんだ。
現在、別誂えで注文すると、2~3週間かかるそうだ。しかし、未だに作っているメーカーがあるということは、生地もあって、注文も少しはあるということなのだろう。
こんな話を聞いたら、今まで、そんなことを知らなかった若い着物ファンも、作ってみようかと思うかもしれないね。一度、チャレンジしてみたら?
成人式も、白ばかりではなく、いろんな足袋の人がいたら楽しい・・・がね。

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第786号 2014年2月5日「個人情報保護法 No.7」

少し前のことだが、探偵業者から入手した住所を利用した殺人事件が、テレビのニュースで流れていた。流出してはいけない情報でも、お金を出せば入手できる時代だ。法律があっても、このような人間が、社会を無視して利用すれば、結末は良い方向へは進まない。
当店でも、名簿を購入し、DMを発送している。2~3年前から、あて先不明で戻ってくることが多くなり、その名簿も利用できなくなる時が、スピードアップして近づいているように感じる。
そんな中、自社で集めた名簿を、販売はしないが、利用してもらおうとする業者が現れた。つまり、こちらはDMだけ用意して、その業者に依頼すれば、自社で保有している名簿を基にDMを送ってくれるというシステムだ。これなら、外部に情報は流出しない。
一回ごとに利用料を支払って投函してもらうわけで、名簿の内容や質については、その業者を信用するしかない。今まで購入してきた、数年前に役所から集めた名簿とは違い、新しい住所も含まれているので、利用する価値はある。しかし、DM送付の必要のないあて先も含まれていると思われるので、その選別が困難であるなどの欠点もある。テレビ、ラジオ、新聞、インターネット等を利用し、自店でお客様を集めるのが一番良いのだが、これには経費もかかり大変だ。
今後も、この問題は、方法論も踏まえ、いろいろと議論されていくのだろう。難しい時代になったものだ。

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第785号 2014年1月31日「新着情報 No.2」

785新着情報を見るなら、ホームページが一番早い。Facebookに載せれば、すぐに流すことができる。だが、ニュースが、そんなに毎日あるわけではない。当店は、ホームページを2つ持っている。いつか、そのうちのひとつを、そんな新着情報を流すことができるものにしたいと思っている。
今まで、着物に関する情報を載せたDMを、個々の店で作るということはなかなかできなかった。しかし、今回、念願だったそのようなDMが完成した。当店が加入している『振袖21グループ』で作ったものだが、名古屋地区では、当店だけのオリジナルになる。『望みは、Happyな成人式』というタイトルで、ゼッタイ失敗しない成人式にするために用意したDMだ。『振袖選びの心得3ヶ条』『振袖の日のマナー』『着崩れたときのSOS』『写真撮影』『着物の畳み方』など、今まで載せることができなかった振袖に関する情報が満載。グループの女性が中心になって、アイデアを出し合い、作り上げた。振袖選びや、ヘア・メイク・着付の参考にしていただければと考える。本音を言えば、もう少し商品を載せてほしかったが、なかなか良い出来です。
2月初めに、名古屋市内を中心にした27年成人の方々に送付します。ご覧ください。

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第784号 2014年1月29日「新着情報」

1月も末になり、27年成人のお客様の振袖選びが本格的になってきた。
昨年と違うのは、27年成人に混じって、28年成人の方からの資料請求も多いことだ。原因は、消費税アップか?高額商品をチェックされる方が多い。これは、購入派なんだろう。じっくりと下調べをしたうえで、いろいろな着物屋さんに見に行かれると、目も肥えていい。
成人式当日の、正直屋Facebookを見られた方があるだろうか?和合店の男性客のファッションが今一番!と注目された。これがまた、真面目な青年たちでした。
あと、年末あたりから、小学生の卒業式袴の問い合わせが多くなってきました。身長140~150センチ用の袴は無いため、大人のSサイズを直してレンタル商品としました。今年から始めたことですが、シーズンに間に合いました。来年は、男児用の問い合わせもあるかもしれませんね。楽しみです。

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