第908号 2017年1月20日「高齢者」

親しくしていた友人が、50年ぶりに訪ねてきた。近頃、歳のせいか、昔の夢をよく見るようになった。その友人のことも、思い出すことが時々あった。
お互い、電話をすることも、年賀状や暑中見舞いを出すこともなく月日が経っていた。現在どこに住んでいるのか?仕事は?子どもは?当時よく遊んでいたほかの友人のことなど、いろいろ話した。中身は、昔と何も変わっていなかった。『そういえば、伴ちゃんどうしてる?』と聞かれた。私は、彼とも音信不通だった。
伴ちゃんと私は、特別仲がよかった。私は、普通に歳を重ね、高校、大学、丁稚奉公を経て、嫁をもらい現在に至る。彼はというと、一度就職をしたのだが、数年後、芸術家を目指して再度大学に入学し、その後、米国に渡った、というところまでは知っていた。すでに実家も移転され、その後の消息はわからないままだ。今やネット時代。調べればわかるのかもしれないが、そこまではせず、お互い元気で暮らしているだろうくらいに思っていた。
訪ねてきた彼が、翌日電話をくれた。『米国で画家として成功したが、52歳で永眠した。』と教えてくれた。定年を迎えても、続き働き続ける人もあれば、まったく仕事から離れてしまう人もある。懐かしい友人たちは、今どうしているだろうか?ふと思った時、電話を掛ける。お互い元気ならそれでいい。次は飲みに行こうという話になる。だが、伴ちゃんのようなことが無いとも限らない。考えたくはないが、仕方のないことなのだ。
今まで、元気でいて欲しいと思う人を何人も見送ってきた。幸いにも、私は生きている。今、私が出来ることは、ただ手を合わせることくらい。悲しいなぁ・・・合掌!

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