第845号 2014年9月30日「恩師 No.3」

845私は、小学5年生の夏の初めまでは泳げなかった。顔を水中に沈めることができなかったのだ。小5の海の生活では赤帽だった。
柴垣先生という女性の先生に、『顔を水につけてごらん。』と言われてもなかなか出来ず、先生が体を支えてくれて、やっと恐る恐るつけることができた。『できるじゃない!次は水中で目を開けてみてごらん。ほら、簡単でしょ。』 『うん、うん。』 『次は体を浮かせてみよう。先生が体を支えててあげるから心配しないで!』恐怖感でいっぱいながらもやってみると、ゆっくりと体が浮かんだ。先生は手を放して、『できるじゃない!そしたら今度は手で水をかいてみようか・・・足もよ。』『泳げるじゃない!よかったね。』
水が怖くなくなると息継ぎを覚えるまでは、ひたすら手足を動かして泳いだ。同級生の小林君に息継ぎを教えてもらい、夏の終わりには50m泳げるようになった。プールが好きになった。毎日泳いだ。
6年生になると、村瀬君に誘われ水泳部に入った。夏中、プールの生活だった。運動オンチだった自分がスポーツに目覚めたのは、これがきっかけだった。
陸上を始めたのも、友人からの誘いだった。入部した時は、いつも一番ビリのランナーだった。短距離も長距離も飛ぶのもダメだった。しかし、毎日友人たちと走っているうちに、だんだん早く走れるようになっていった。毎日練習することは、自然と力がつくものだ。友人たちが良かったのだろう。毎日が楽しかった。
柴垣先生は、1・2年生の時の担任だったが、今はどう過ごされているのだろうか?小学校時代の先生は、この柴垣先生と6年生の時の担任以外は、失礼ながら名前も忘れてしまった。先生というのは、本当に大変な仕事だと思う。

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