第661号 2012年9月18日「昔の話-私のこと No.24」

何もわからないまま友人の紹介で始めたホームページも、振袖の色が現物とまったく違うものになってしまったりなどの数々のトラブルに見舞われ、やむなく別の制作会社に任せることにした。
平成16年になり、番頭たちの定年退職が始まった。番頭を慕って勤めてくれていた人たちも一緒に退社した。2年間で12人が辞めた。退社してほしくない人もいたが、私には引き止める力はなかった。
4月からは、私の猪子石店勤務が始まった。友人からの紹介で急きょ入社した女性と二人で店を開けた。手伝い店員(マネキン)や古くからの知人等の応援をいただきながら求人をし、次第に増えた。従業員は少しずつ増えたものの、しょせんは1年生ばかり、売上は出来なかった。
DMを利用するしかないと考えた。番頭からは『大人のオモチャ』と注意・助言されていたホームページにも力を注いだ。商品は振袖を中心にし、京都のT社・I社のブランド振袖を扱い、広告宣伝の方法等も教えてもらった。その頃の振袖専門店では、すでにテレアポ、オリジナル振袖、ブランドレンタル振袖、ヘアー・メイク・着付の特典等を取り扱うのが当たり前の時代に変化していた。当店ではまったくわからない世界だった。しかし、やるしかない。『よーし、これから勉強するぞ!』という意気込みだった。

ページの頭に戻る