第134号 2007年4月20日「母」

自分の母は耳が小さい頃から悪く、自分もそんな親をバカにした時期も実はありました。悲しく親を恨んだ時もありました。
友人を家に連れてきても母には会わせたくないのです。なぜなら、話をするのにどうしても声を大きくしないと聞こえない・・・それを友人達に知られたくない。でも母親は関係ない顔でお菓子を持ってきたり、話しかけてきたり、子供の友人に接したいのです。今ならわかる親の愛情なんだけど、その頃の自分にはそんなことはわからず、いやな思いで『もう、あっちへ行ってヨ!!』と大声でどなっていた・・・。
親になり、子供達2人共が就職し(2人目は今年)、一人前に(?)巣立った。お陰で今のところ2人とも大きな病もなく、夢を持って好きな仕事に着いた様だ。
時々お袋のことを考える時、彼女の青年時代は戦前・戦中・戦後であり、結婚は従兄妹同士の親の決めた結婚であり、耳が悪く、ある時期からは店でもまったくの雑用係で、店の主の奥さんという体ではなかった。自由でもなかった。どんな楽しみが彼女にあったのかと思うのだが、親父の誕生日である4月20日に永眠した。それが彼女の生きた証というのなら、幸せという文字は人によって色々な重みがある。自分もこんなことを考える年になった。

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